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人間の最終形態になる日まで

「人間の最終形態って、なんだと思う? かーちゃん」

自転車で坂道を下っていると、後部シートから4歳次男が問いかけてきた。
最終形態??
ポケモンの進化とかで覚えたのか?
で、人間の、最終形態……?

下り坂は案外怖い。
でこぼこのコンクリや、太めの木の枝を避け、ブレーキを握りながら進む。
次男の突飛な質問に気の利いた答えを出す余裕がない。

「え……わかんない、なに?」
「死体」

「お……おお。
 ……おお。」
意外な答えに「お」しか言えないでいると、

「人間の最終形態は、死体」
クールに、明朗に、もう一度教えてくれた。

「それは、にーちゃんに教えてもらったん?」
「いや、じぶん。じぶんでかんがえた」
背中にいるので表情が見えないが、自慢気ではなく、淡々としている。

「ね、そうでしょ、最後はみんな死んじゃうんだよね。
 あつも死んじゃうんでしょ」



たぶん一年ほど前から、この子は「死」について考えだしていて、寝る間際に時々「あ、なみだがでてきちゃった……」と申告してくる。
そんな時、ぎゅっとしながら話を聞くと、「かーちゃん、いつか死んじゃうの」と涙声でしがみついてくる。

「死んでも見守ってるよ」とか、「天国にいるよ」とか、自分でもまとまっていないほわほわした死生観でその都度なぐさめてきた。

「あつが死ぬときは、もうかーちゃん死んでていないでしょ。
だからあつが死ぬとき、どんな顔してるかわかんないよね」

坂を下りきり、十字路の信号待ち。
風の抵抗がなくなり、声がはっきり聞こえるようになった。
振り向くと、真面目な表情。冷めた目つき。

以前は「かーちゃんの死」で泣いていたが、今はそれを超えて「自分の死」まで考えているようだ。
そして、誰もが死ぬということまで。

ああ、なんてこたえたらいいんだろう。
自転車の運転を止めたところで、いい言葉もでてこない。
そもそも私だって、なにもわかってない。

「どうなって、死ぬんだろう。
 いつ死ぬんだろう。
 どんな顔してると思う?」

次々とんでくる背中からの質問。
信号が青になり、とりあえず進む。
夕飯の材料を買うため、とりあえず進む。

「あっちゃん、ごめん。かーちゃんもわかんないよ。
まだ死んだことないしね。どうなるかもわかんない。
だからそれより、今やりたいこととか、楽しいこと考えよ」

背中に向かっていろいろ言ってみた。
風が吹いていたけど、聞きとれただろうか。
的外れだっただろうか。
私が小さい時、なんて言ってもらいたかっただろうか。

「わかった!
 あつは死ぬとき、鏡で自分がどんな顔してるか見てみる!」

「お? おう、うん……?」
死への不安に苦しんでいるのだろう、と感情移入していたのに、なんかちがう。
少しずれた好奇心の強さに驚かされた。

子育てはきれいな物語にならない。

目的地のスーパーで自転車をとめる。
3ヶ月前は抱っこでシートから降ろしていたが、今や一人でするりと降りられる。
「かーちゃん、いくよ!」
自転車のカギかけに手間取っていると、先にとっとと進んでいく。

大きくなったなぁ。
いろいろ考えているんだなぁ。

我が子の背は、私の記憶を超えて伸びていく。

いつか最終形態になる日まで、健やかに育ち、幸せに生きていけますように。
子供の最終形態をどうか見ずにすみますように。

しんみりした3分後、お菓子売り場でポテチとハイチュウとアポロを絶対買うとぐずる我が子にうんざりしていた。

子育てはきれいな物語にならない。


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