もやもや と おんど と りかい


歩き続けるとさ、脚がパンパンになっちゃって もういい加減に立ちどまりたいって思っちゃう感覚、わかってもらえるかな?

あれと似たような感覚が あるんだよね、歩いているわけでなくても。

表現のしようがなくて、いつもあやふやにして、この感覚に説明がつけられないから 自分自身にも誤魔化しを続けている。

よろしくないなと思っている。

自分のことは嫌いじゃないんだ。

こんな書き方すると「自分大好き人間」って皮肉られた過去が砂の下から見えてくるようで不快なんだけど、それでも、自分のことは嫌いじゃない。

器用そうに振舞って 自信ありげに背筋伸ばして 人の目を気にして 強そうに立って。

そうやって守ってきたものがあるから そうやって護ってきたものがあるから

そんな自分を認めている。

そして同じだけ、たくさんの人に助けてもらって たくさんの手に支えてもらって たくさんの声に言葉に想いに 愛情に 護ってもらって生きてこられた。

一人のちからで生きてきたわけじゃないってことを認めている、そういう自分自身を認めている。

ただ、歩いてきたのは、自分の脚なんだ。

立ちどまったりしながらでも、遠回りかもしれない道を歩いていたとしても、もしかしたら引き返している道のりだったのかもしれないけれど、それでも脚を動かし続けてきたのは 自分なんだ。

で、ふとした瞬間に、

何もかもを止めてしまいたくなった。

でも 止まる勇気はない。止まりたくはない。

大きな矛盾。

ぐちゃぐちゃしたこの思いが説明つかない、言葉にできない。

理解されることはないだろうし、でも半面、だれかも同じような感覚を感じているのかもしれない…なんてうかぶこともある。


何日もこのもやもやの中に心があって、でも同時進行に日常は過ぎて行って。

その中でなんとか、何とかこの気持ちの解決を望み、

たどり着いたのは

「 Hug 」。

想って そっと抱きしめてもらいたいんだね。

物理的にとか だれでも 良いってわけじゃない。

心から傍に寄り添ってもらいたい相手って きっと 誰しも あるとおもう。

その人の心の温もりを感じて、やっともやもやした説明のつかない状態から、自分の脚で再び歩き出せるのかなって。


そんなもやもやしたものからひとつすすめるのかなって思えた夜。



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