頑張って解読していこうというもの
だが氏の本を読んだわけではないので、恐らく理解したと思っても理解しきれていないのだろう
巷の感染症騒動の裏で動くムーンショット目標
これが未だに表立って流れることはなく、内閣府のページを確認しに行く情報通か、関係者の情報を個別に追っているかじゃなければこの単語に辿り着くことすらできない水面下で進むこの話が、具体的に騒がれ始めた時期と感染症騒動が勃発した時期がちょうど重なることからも、騒動はこの目標を民衆に無理やり浸透させる為のショックドクトリンなのではないか、と陰謀論的に語られているわけだ
ようやく芸能人に注目された
それが事実かはさて置いても、この目標が現実に動いていることは確かであり、庶民の生活に直接関わってくるこの話が、何の国民投票もなく勝手に進んでいる以上、その経過を監視したくなるのは自然な流れだと思う
さて、そんなムーンショットだが、私が個人的にウォッチしているのが、今を時めくこの方であり、本記事でも注目することになる
軽快な口調で難解な言葉を操る氏に、正直一時期ハマっていた
そして暫く離れていた所にこの騒動が発生し、同時にムーンショットのことを知ったとき、真っ先に連想したのが、氏が掲げるデジタルネイチャー構想だった
ということで本記事では、氏の難解な発言を可能な限り読解していくという所存である
その未来が真に我々が望むものなのかどうかを見極めたい
今回取り上げる記事がこちらだ
出だしから小難しい話が続くわけだが。
この「人間中心主義の脱構築された世界」は
=「計算機自然」
=「デジタルネイチャー」
=「人を脱構築」
の関係にあることになる
ではこの「人間中心主義」とは何か、脱構築とは何を意味するかだ
「脱構築」という言葉自体が哲学用語のようだが、
という定義からも、「現時点で地位に差のある対立する二つのものの立場を一度逆転させる」ことになる
では氏が言う対立する二つのものとは?
と
の記述からして、人間ー機械(テクノロジー/計算機)の対立であることは疑いない
そしてその「関係性の価値観が崩れる」ということはまさに脱構築を意味しており、従って「人間中心主義の脱構築」=「人の脱構築」とは、人間と機械の立場を逆転させることを意味する
機械は元々人間が生活を便利にしたくて生み出したものだ
故に
の二項対立では、当然人間の方が高い地位にある
このことから、単に便利になって快適、などという夢の詰まった話ではないことが分かる
道具を使う世界ではなく、道具に使われる社会になるのだ
巷でAIによる支配の社会を謳う活動家がいるが、この記事が論理的にそう解読しかできない以上、彼らを嗤うことはできない
争点があるとしたら、もはやそれが事実か否かの次元ではなく、その社会が人間にとって住みよいか否かである
(続)