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Chapter0. Author's Preface③

直接分析法が洗練されるに連れ、化学者は動植物質から酸性・アルカリ性・中性、その他多様な機能を有する非錯体化合物を数多く分離し、これら非錯体化合物は、動植物質の近成分、三元系/四元系窒化物の分類の下、より正確に区分された。

窒化近成分は更に、卵白・血清アルブミン、牛乳のカゼニウム(後のカゼイン)、血液・筋肉のフィブリン、骨のゼラチン、小麦のグルテン、植物の搾り汁のアルブミンなどが、可溶性・不溶性・非結晶性の性質で分類された。次第に、これらの物質の組成と、ある共通の特質が、卵白アルブメンに類似する点からアルブミノイド物質という分類が登場した。ラボアジエはこのアルブミノイド物質を認知していたが、窒化した動物質程度に捉えていた。

現在、グルテンや、ビール酵母と同じ四元系窒化物の植物性アルブミンが発見され、これがワイン発酵における発酵素だと認められた。この汎化により、典型的なアルブミノイドであるアルブミンもまた発酵素だと見做された。一方、三元系近成分(甘蔗糖、ブドウ糖、乳糖、その他糖類、アミロイド質、イヌリン、ガム、マンニット等)が発酵性物質と呼ばれた。

この問題は1836年頃、カニャール・ド・ラ・トゥール(Cagniard de Latour)が、ビール酵母とその発酵中における増殖の研究を再開した際、酵母は組織的生命体であり、砂糖のアルコールと炭酸への分解はその植生作用だと捉えたことに始まる。

これはビシャに匹敵する独創的な構想であった。その所以は、ビール酵母を組織的生命体と捉えたことでも、発酵過程の増殖能を植生と捉えたことでもない。植生作用による砂糖の発酵、畢竟、生理学的作用と認めたことにある。これは全くの新たな視点であった。唯一単離された発酵体であったビール酵母が、不溶化したアルブミノイド物質の沈殿物との認識が改められ、以降、生物だと見做されたのだ!砂糖を構成する単体同士の平衡を乱す反応剤(reagent)という、ラボアジエ以来の酵母の概念に終止符が打たれた。

また、植物学者ターパン(Turpin)が、カニャールの云う植生作用を解釈し、酵母の小球体は砂糖を分解して自身を滋養する細胞だと述べた。デュマはこれを更に発展させ、発酵体である酵母は摂食をする動物の如き振舞いをし、自身の生命の秩序維持の為、動物同様、砂糖以外にも窒化アルブミノイド物質を必要とすると主張した。

ドイツでは、シュワン(Schwann)がカニャールの見解の支持を表明し、更に概念を拡張した。曰く、「如何なる動植物質も自力で変質はせず、全ての発酵現象は生きた発酵体の存在を前提とする。」この裏付けに、スパランツァーニ実験を改良し、インフソリアや発酵体の空中胚種起源の証明を試みた。シュワンの実験は他の科学者にも追試された。

しかし、カニャールの構想、ターパンやデュマによるその再解釈もまた支持は得られなかった。変質する混合物にインフソリアや黴が出現する事実は否定されずとも、発酵の原因である事実は否定された。発酵は自発的現象であり、変質した物質こそ生命自然発生や、空中胚種が有機的生成物を産生した証拠と見做された。ジアスターゼとシナプターゼが発見され、可溶性かつ酵母と同じ四元系窒化物と判明するや、それは酵母の組織的生命体としての作用を否定する正当な証拠とされた。これらの物質は現在、水溶液中の特定の発酵性物質を変化させる強力な生理作用が備わる反応剤と定義され、物質の変化は発酵現象 fermentation、反応剤は発酵体 fermentと呼称されている。そして発酵体が発酵現象に作用する所以は、発酵体が組織的生命体である故ではなかった。

斯くして発酵現象と生化学の趨勢はカニャールとシュワンの反対学説が優勢となり、見識は1788年に逆戻りする結果となった。ビシャの教義の原則は衆目から外れた。マッケル条件下ならば動植物質のみならず、その抽出物たる近成分は、甘蔗糖含め、水溶液中で自然変質することが公認となった。近成分は水溶液中で不変だというラボアジエの指摘にも関らずである。即ち、シュワンが復活させた古の空中胚種仮説は完全に忘却されたのである。

19世紀後半の人類の精神が、ガリレオや異端審問官の時代から膠着状態にあることを納得させるに、前述の歴史のその後を綴る以上に適したものはなかろう。ここで記述する基礎実験の成果により、カニャールの酵母理論が棄却された1857年末時点における発酵の生化学の様相が一変した。

1854年、甘蔗糖溶液は転化糖へ自然変質すると公認となった。変質後に溶液の偏光面が右旋から左旋となった為である。生成された糖はブドウ糖と命名され、この現象が転化と呼ばれた。

先行研究を参照する傍ら、私は事実の検証を決意し、1854年5月、密閉したフラスコを微量の常温空気と接触させ、拡散光の下で甘蔗糖の純粋水溶液を放置した。数カ月後、純粋蒸留水の糖液が部分的に転化している様を発見した。1855年初頭、公認の事実の再検証として観察結果を発表したが、同時に、転化溶液に黴が発生した事実にも言及した。最も多様な物質(?most diversity substance)の水溶液での黴の出現は珍しい現象ではなく、当時の科学の実態、シュワンの実験に矛盾する主張が交錯する中、私は事実以外何も発言しないことにしていた。私はただ、塩化カルシウムや塩化亜鉛を添加した溶液では転化も黴の出現も観測されなかったことを指摘した。この差の説明を考究し、1855年から1857年12月まで様々な実験を繰り返した。


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