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そもそもテレワークって何?

テレワークとは、「ICT(情報通信技術)を活用し、時間や場所を有効に活用できる柔軟な働き方」のこと( 「tele = 離れた所」と「work = 働く」をあわせた造語)です。実際は「リモートワーク」と同義に使われることも多く、就労の場所やスタイルと紐つけて考えがちでした。けれど、実際に強制実施期間を経た今身に滲みているのは、単なる場所の問題でも単なるビデオ会議の問題でもなかったということです。

就労場所だけの問題ではなかった

コロナ前は、単に就労場所の自由度を高めようという文脈が多かったですが、テレワークが一気に現実化した今、課題となっているのは場所ではなく、むしろその管理体制に目が向いています。
しかも注目されている「管理」とは、会社が行う「管理」だけでなく、個々人が行う「自己管理」も、従来とは異なったレベルで求められています。

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上図からも分かるように、就労場所が一気に増えました。これが一箇所(オフィス)だったとしても、会社方針として過去/現在/未来について様々な考察を経て、現行システムが運用管理されていて、そこそこ大変だったはずです。しかし見直しや各社員の職住のバランス問題もありましたが、慣例的な視点で、大きな変化ではなかったと思われます。それが一気に場所が増え、それを実施する社員が増えた時、様々な問題を生みました。

管理とは何だろう?

そもそもの就労時間の管理が分からなくなりました。職務中にタバコ休憩している者やSNSしている者もいましたが、自席や周りの目がある程度ブレーキ役として機能していました。それが自宅にはありません。サボってるんじゃないかと疑う上司と、トコトン根を詰めるまで働いてしまう善良労働者の間に亀裂も目立ってきました。どこまでが指示で、どこからが忖度(そんたく)なのか、気配りや転ばぬ先の杖なのかも不明瞭となりました。

職住のバランスとは何だろう?

従来からあった「職住接近」や、「職住融合」という言葉まで出てきましたが、「住」から見れば、今回の状況は「”職”が”住”を侵食してきた」としか見えない状況です。全てを投げ出して働くべしという人生指針はもはや通用していないのです。家庭にいなかった父や母が四六時中家におり、子供と接する時間も増えました。ファンタジーの世界ではないので、接点が増える=幸福度が増すなんて状況になるのは稀です。必然的に衝突が増えます。子供がいなくても、従来の自分の生活スタイルに仕事がドヤ顔でなだれ込んできた感は否めないでしょう。多くの人が、自分とは、家族とは、住んでいる地域とは、仕事とは…と考え初め、それがまたストレスとして悪循環も生んでいます。

今までちゃんと回っていたのかという問いの表面化

同時に、今まで機能してきた部分にも目が行きます。上司は私のことを見てくれていたのか、正しく仕事を振ってくれていたのか、正当に評価してくれていたのか。そして数%の方は、何もしない上司が、実は不要だったんじゃないかとさえ気付いてしまいました。一体今まで誰が仕事をマネージしていたのだろうか、今後どのようなマネージをして貰えるのだろうか。

先例がない未来

多くの企業で採用しているピラミッド型の指示系統は、工場型の均一品質のものを大量生産していく際に有効なスタイルだとされています。そして、仕事命と銘打って育児も家庭も顧みない仕事人間がそれらをリードしてきました。現在の多様性を基本として、イクメンもオタクもいる百花繚乱の人材群に、均一製品を求めるのではなく、ユニークなアイデアや技術を求める時代に、そうした仕組み自体がミスマッチなのはコロナの前から実は囁かれていました。亀裂が入りながらも改良できなかったのに、破断レベルの事態下で方向修正ができるのでしょうか。

不安ばかり書いても無意味なので、今後「テレワークしてますか?」の問いは、実は「仕事の見直ししてますか?」を含むものと考え、どう見直せば良いのかを、もう少し考えてみたいと思います。


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