エピソードトークのためのセックス?

「もう性欲じゃなくてエピソードトークのためでしかねぇわ」って、隣から聞こえる。セックスも不貞のセックスもセフレの数を増やすことも、タップルに課金して合コンしまくることも、そうらしい。

「エピソードトークのため」を成立させるのは、並列的な人間関係に重きを置くからだ。彼らは文脈が違えばシリアスに良い友人関係を育む人たちでありうる。

エピソードトークとは娯楽的な物語をすることと、なんらかの意味でヒーローになることだろう。つまるところ、生活は娯楽的物語ではなくて、誰もヒーローではないのだ。だからそのように喋りはじめる必要がある。生み出す。

つねに面白いことを基準にして、選択場面で決断していく生活は面白いかもしれない。それはイエスマン的な面白さにも繋がっている。しかし、生活を面白くしようと生きることは難しい。個々の面白いと思われた選択が実際に面白い結末をもたらしたとしても、全体としての生活が面白くなるとは限らない。ちょっとした面白さを追うことはできるだろうけど、面白く生きることは目指せる類いのあり方だろうか。

エピソードトークのためには、まず飛ばなければならず、飛ぶこと自体は面白いかもしれないが、それがもたらす諸々の帰結は面白いと保障されていない。でも、もしかするとエピソードトーク以上に大切なこともないのかもしれない。そういうふうに、謎のチャリティでもって考えたほうが面白いかもしれない。関係の中の歴史に価値を置くこと。価値を置いたものを馬鹿にしないこと。

信仰がある。構成的な価値に適切な反応が呼応して、共同体が精錬される。

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