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「何もない人生」なんて1つもないという事実


よく「私の人生、普通だよ」って耳にすることがあった。確か、小学生の頃だったかな。


幼いころからよく、両親の出掛ける先に率先してついて行くタイプだったので、本当に老若男女いろんな人と出会ってきた。高校生のお姉さんから、会社員の方、自営業をされている方もみえれば、専業主婦をされていたり、定年退職後のおじいちゃんや、○○に住んでる○○さん、といったような感じ。


その人達は、私にとってはみんな「面白そう」な人だった。

ある人は、最近はまっている自然食品の話をしていた。

無農薬、有機農法、堆肥…。小学生の私には、おおよそ同級生との会話では登場しない単語の数々に「この人は食べ物に詳しい人なんだな、すごいな」と思った。でも「すごいですね」と言っても「そんな、普通よ~」と言い返されるだけだった。


ある人は、というか、私のおじいちゃんは「なんでも屋」だった。

当時、鉄板の溶接をする自営業をしていたが、例えば乗っていた自転車が壊れたと持っていくと「見せてみろ」と言って、ものの数分で原因を突き止め直してしまう。家の不具合が生じた時も、真っ先に頼られるのはおじいちゃん。

なんでも直せるおじいちゃんは、まさに私にとって「なんでもできるすごい人」だった。でも、そんなおじいちゃんにも「すごいね」と言っても「大した事あらへん」としれっとした顔をされてしまうのだ。


そんな自然食品に詳しいあの人も、今はもういないおじいちゃんも、他にも沢山の「面白い人」がいて、私が感じた「面白い」を身に着けるまでには、いろんな体験や経験をしてきた訳で、その人にしか語れないストーリーがある。

「たいしたことあらへん」「普通よ」だなんて、大嘘だ。


何にもない人生なんてないなぁと、つくづく思う。

自分にとっては「なんでもない」ことかもしれないけれど、環境が違えば、国が違えば、年齢が違えば。人が変われば、それはすごいことだったり、面白いことだったりするのだから。


小学生の時に伝記が好きだった女の子は、今はインタビューライターになり、沢山の人の人生のストーリーを聞く仕事をしている。

まだ語られてない、知られてない面白い世界が知りたくてたまらないし、自分自身も、人にとって「面白いね」と言われる人生を歩んでいきたい。

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人生で得た体験は、全て誰かの役に、そして自分の糧に。お金も、時間も、感情も。生まれるものをなにかのカタチで循環させていきます🕊