ニンニクの香り

その日、私は息子と一緒にハンバーグを捏ねていた。
今となっては良く覚えていないのだが、どうやら高校3年生の夏を過ぎ部活を引退した息子は将来の夢に向かっての準備が佳境な頃のようであった。
19:00前ごろだったかもしれない、久しぶりに息子とゆっくりしたなと思いながらなんとなく二人でテーブルを挟んで座り時々しゃべったりしながら手を動かしていた。
我が家のハンバーグはニンニク入り。ちょうどニンニクを摩り下ろしてボールの中のひき肉に入れているところだった。私のiPhoneが鳴り、文字通り手が離せない私は息子に「誰から?」と聞き「ばあば」と答えられたので「出て(笑)」とお願いした。「もしもぉーし」と電話に出る息子「ママ今ハンバーグ捏ねてる(笑)」とここまで言って「代わってって」と私にiPhoneを渡そうとする。あらら…、とりあえずキッチンペーパーで手を拭いてiPhoenを受け取る。「もしもし?今ね」と私が言うのが早かったか母が言うのが早かったか
「お父さんが倒れたの町会の会合に来ていて西の会館に居るんだけど」「え」
「今日は役所の人が来てたから応急処置とかしてくれて今救急車も呼んでくれてるの、でもお母さん今日は財布も何も持ってきてなくて」
そこからは何をどう話したのかよく覚えていないが、とにかく私もその町内会館に行くことにして、実家に寄って保険証とか財布とか取りに…とかいろんなことを考えながら電話を切った。
「じいじが西の町内会館で倒れたんだって救急車もくるんだって。ママも行ってくるから」「分かった」そんな会話だったと思う。
大急ぎで洗剤で手を洗ってたぶん必要だと思う物を持って、一応着替えもした「ごめん夕飯は、お姉ちゃんが帰ってきたら一緒にコレ焼くかラーメンでも食べに行ってきて」「分かった」「あ、携帯の補助バッテリー貸してくれる?」「いいよ」
そんな会話を交わしながらこれは明日の夕飯だな…とか思いつつひき肉と擦りおろしにんにくの入ったボールにラップをして冷蔵庫にしまった。
「じゃあね、また連絡するからね」そう言って家を出た。

私の家と実家は直線の道路をまっすぐに歩いて10分ほどの距離だ、目的の西の町内会館はその中間あたりにあり、若干実家寄りのはずだった。
このあたりは五ヶ町などと呼んでいて五つの小さな町会が集まってできているコミュニティだ。真ん中にある町会からみて四つの町会を東西南北の方向に合わせて呼んでいる。今日はその五ヶ町の連合の会合で、実家の町会の会館ではなく西の町会の会館で行われているようだった。実は私は、その会館の場所はあまり良く知らなかった。子どもの頃に母のお使いで行ったことがあったかなという程度。さっきの電話で母に場所も確認したのだが「〇〇さんの通りから行ったら△△さんのところで左の路地に入ってしばらくいったら…」的な感じで2回くらい繰り返して聞いたが良く理解できなかった。

そろそろ仕事が終わっているであろう娘にLINEを送りながら、私は、ただひたすらにそのよく分からない場所に向かって早足で歩いた。
なんとなくあの辺、というのは分かる。ただこのあたりは本当に下町で路地を一本間違えれば全く違う所に出てしまい、そこからの軌道修正は結構大変なのだ。
どうしよう、どこで賭けに出ようか、そんなことを考えながら「もう実家に近づいてきてしまったじゃないか」というギリギリの最後の大き目の通りに出て「やっぱり戻ろう」と振り向いた時「みちこちゃん」と私を呼ぶ声が聞こえた。
正直、誰だか分からなかったがこんな夜更けの緊急時に私の名前を呼ぶのだから関係者に違いない。
そう思って声の主の方に走っていった「こっちこっち今ね救急車が来たから…」そんな説明を聞きながらその誰かと一緒に目的の会館に向かった。

会館の入り口には、父と同年代の方々が数名出てきてくれていて、皆さん慎重な面持ちで立たれていたので一瞬だが私にも緊張が走った。
「娘さんきたよ」と、私を案内してくれた誰かが入口付近まで連れていってくれようとしたが、ちょうど母が出て来て私に何かを話しかてきた。
そのすぐ後に、ストレッチャーに乗った父がやってきた。周りの人たちが口々に「枡形さん頑張れよ」などと父に声をかけてくれている。
しかし私が見た父は、目も開いて動かしているし、自分で手を動かしたりしていた。口では何かしゃべっているようでもあった。
なんだ意識不明という訳でもないし、やっぱ大丈夫なんじゃん、とホッとしたと同時になんとなく可笑しくなってきてしまって「大丈夫ですよぉ!」と、周囲で父に気遣ってくれる人たちに笑顔で話しかけてしまい、皆さんから怪訝そうな顔で見られ顰蹙をかってしまった。
ストレッチャーが私の前を通り過ぎ、母とこの後の段取りなどを話しながら周りの方への挨拶もそこそこに、ストレッチャーの後を追いかけた。
私が追い付いたころには、もう国道に止められた救急車の後方から父が乗せられるところだった。たまたま現場に居合わせたという看護師の方が父が倒れた時の様子を救急隊の人に細かく説明してくれている。
母の説明によれば、この人が全部やってくれたのだそうだ。何やら専門用語でやり取りされる父の容態を聞きながら「さすがプロだ」などと余計なことを考えつつ私は一つのことだけに集中していた。
受け入れ病院だ。この辺りでは一番大きく、ある程度信頼のおける病院に父を連れて行きたかった。なにせその病院は、あの3.11の時に辺り一帯が停電で真っ暗になっている中、そこだけが自家発電で煌々と輝いていたのだ。
「娘さんですか?」そう聞かれて「はい!」と答えそそくさと中に乗り込んだ。今までに、こんなことは?あんなことは?普段の様子は?様々なことを聞かれたが頻繁に行き来はしているものの、同じ家に住んでいる訳ではないので回答に悩む部分もあり慎重に考えながら返事を返していると「生年月日は?」と聞かれた時に、父本人が突然に「昭和17年!◯月×日!」と大きな声で答えたのにはビックリした。血圧を測ったら200あるという「は?えっと普通はなんだっけ?200?」頭が回らない。「今までに脳梗塞などは?」と聞かれ「前に右手が痺れて動かなくなったことがあって、その時にはあそこの病院にかかっています」「それは脳梗塞でかかったの?」と聞かれ「はい、そうです」思わず力強く自信げに言い切ってしまった(実は、その時はハッキリ脳梗塞だとは言われなかったんだけど…)。そこは昔取った杵柄だ。私は間違っていない素振りを装い救急隊員の方が、その病院に連絡を取っているのを見つめていた「診察券は今ないんですけど」一応そんなこと言いながら様子をみていたが無事に搬送先が決まったようだった。その間5分もかかっただろうか。すぐに救急車は出発することとなり、母は自宅に戻って保険証や診察券など持って改めて車で追いかけてくることになった。私一人が救急車で父と一緒に病院に向かった。途中で父の様子を見たり声をかけたりしながら、自分の口元に手を当てるたびにニンニクの臭いがして「あんなに洗剤で洗ったのに、なんでニンニクの臭いってこんなにいつまでも取れないんだろう」そんなことを考えていた。

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