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イエズス会は奴隷売買に関与していた

  日本では奴隷売買の仲介人として秀吉に追放された奴隷使役修道会イエズス会だが海外ではそのあとも奴隷売買をしている。なおイスラム海賊が19世紀まで南欧で奴隷狩りしていた話は本件と関係なく、ワーホリとかいう現代の奴隷制に身売りする意識高い系も本件とは関係ない。

例えば1838年のアメリカ、メリーランド州にこのような記録がある。

 これはイエズス会が所有していた272人の奴隷をルイジアナの二人の農場主に売り飛ばした記録だ。イエズス会は紛れもなく奴隷商人をしていたのだ。なお、この事実が広く知られるようになったのは2015年だから日本人が知らなくても仕方ないのだが、何度も言うがイエズス会自身が奴隷売買を行っていた訳だから積極的に参加していないは大嘘。

 イエズス会は17世紀にアメリカに拠点を築いていた。その中でメリーランドのイエズス会はプランテーションを運営し、それを運営資金に利用していた。このプランテーションは本来、年季奉公人を雇うことで経営されていたのだが、そのうちアフリカ系奴隷を購入し使役することになる。この奴隷は、イエズス会の運営するジョージタウン大学の雑用にも貸し出されていた。

 つまりイエズス会は奴隷を積極的に利用していた。そして、イエズス会は奴隷の定義を拡大解釈して、話を矮小化しようとしても(すなわち年季奉公人と商品奴隷の混同)イエズス会がアフリカから奴隷船で運ばれた奴隷を購入をしていた事実があるかぎり矮小化は不可能だ。

 19世紀に入るとプランテーション経営が上手いかずメリーランドのイエズス会も多額の借金を抱えていた。この段階に入るとイエズス会はプランテーション農業をやめ奴隷を解放するかしないかで揉め始めた。この時期、メリーランドでは奴隷解放の圧力が高まっていたためヨーロッパ出身のイエズス会士は奴隷を解放することを求めたがメリーランドのイエズス会は奴隷を売却することを決定した。そして奴隷達は一家離散した。このイエズス会の奴隷売却で得られた利益はジョージタウン大学の存続に使われた。

 一部が奴隷売買に反対して無視されていたことを証拠にされても困る。むしろ積極的に関与していた証拠しかない。

 この事実は2015年まで大衆には知られて居なかった。そしてイエズス会はWokeにより炎上し、ジョージタウン大学とカナダとアメリカのイエズス会が謝罪と賠償を要求されるのだがそれはまたべつの話。

 またミズーリ州のセントルイスのイエズス会は少なくとも70人の奴隷を使役していたと言われている。

 イエズス会に於ける奴隷所有はアメリカで奴隷制が違憲になる1865年まで行われていた。イエズス会は奴隷使役者だった。

 このような行為はアメリカだけではなく、ブラジルでも行われていた事が分かっている。ブラジルに於いてもイエズス会はプランテーションを運営しており先住民を奴隷化し独占していた。イエズス会によるプランテーションと奴隷の独占は他の植民者の怒りを買い、また自治権を行使して税金を払わなかったためポルトガル政府と対立し、1759年にイエズス会はブラジルから追放される事になる。イエズス会が追放された結果、先住民は解放された。ただしブラジルの奴隷制は19世紀末まで残っていた。

 なおイエズス会は人道的な理由でプランテーションから逃げた奴隷を匿っていたと主張している。

 イエズス会は1760年頃には2万人の奴隷を所有していたとされており、アフリカの奴隷貿易にも参加していた。1767年、スペインがイエズス会を追放したときに押収した財産カタログによれば、コルドバのイエズス会は2000人の奴隷を所有していたと言う。

 しかし、これらは19世紀や18世紀の話だ。日本ではイエズス会は追放されていたから既に存在しない。それでは16世紀の日本でイエズス会は何をしていたのだろう。彼らは19世紀に入っても奴隷を売買し、使っていたのだから想像自体は容易い。むしろ秀吉の所為で東アジアから安い奴隷が入らなくなったためアフリカで奴隷貿易を始めたとすら考えられる。そこでイエズス会が南アジアから東アジアで奴隷貿易で何をしていたか調べたいのだが英語サイトでは、ほぼイエズス会の言い訳しか現れてこない。

https://tufs.repo.nii.ac.jp/records/1040

 そういうわけで論文が転がっていたので日本語の要旨だけ読むと

今までの研究で分かってきたことをまとめると、1550年代からポルトガ ル人は中国人と日本人を九州で購入していた。イエズス会士は速やかにその貿易の仲介者になって、奴隷を買うことを許可する公認証のようなものをポルト ガル人に発行するようになったことが明らかにされている。豊臣秀吉は奴隷貿易の実態を知り、1587年にそれを禁止した。イエズス会は1596年になっ て初めて日本において奴隷取引する者をキリスト教から破門とすることを定めた。司教の死後に破門令が無効になり、1598年新司教が破門令を再び制定した。その後、日本人の奴隷化を禁止するようポルトガル国王に働きかけるが、イ ンドのポルトガル人が反対して、その策略は失敗に終わったとされている。

近世日本における奴隷問題とイエズス会

 つまり先行研究でも「既にイエズス会は奴隷売買に積極的に関与していて、イエズス会は伴天連追放令がでてから(日本における)奴隷売買(のみ)に反対した」――と言うことは揺るぎない事実だ。

 それに対するイエズス会の言い訳は「我々が入らないと奴隷が人道的に扱われない」というどこかの人身売買NPOみたいな言い草である。実際のところ『カソリックの方が異教徒より人道的である』と言う上から目線のルールをゴリ押し通していただけだ。要するにイエズス会は現代Wokeと全く同じことをやっていたのだ。

 また(インドの)ゴア・イエズス会も奴隷を使役していた事実が判明している。その理由は「奴隷がいないと業務が出来ない」らしい。

 ここでポルトガル人が差している奴隷が年期奉公人だったのもどうやら嘘らしい。イエズス会の多くの奴隷はキリスト教に強制的に改宗させられていた。しかも先に改宗させると奴隷は逃亡するから、キリスト教徒が多い地域に送り教育(要するに洗脳)してから改宗させるべきなどとのたまわっていた。どこが年季奉公人なのだろう。

 なお、イエズス会が日本に於ける奴隷売買に反対するのは伴天連追放令が出た後である。要するに後出しジャンケンだ。歴史改竄も甚だしい。


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