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高麗王の謎

 李氏朝鮮の太祖李成桂は女真族出身と言われているが、高麗太祖王建の出自は更にはっきりしていない。祖父は王帝建らしいが、ここでおかしいのは中国伝統の避諱ルールが採用されておらず同じ諱(建)が孫に使われて居る点。つまり中国式の名前の命名法が王建に適用されていないのが凄く怪しい。さらに王帝建の母親ははっきり記録に残っているのに父親が大変怪しい。唐皇室の庶子と言う設定だが、姓が李ではなく王で、この皇帝の庶子だと矛盾が生じると突っ込まれると突然変わっているため恐らく後付けの設定だろう。ここから分かることは王建の父系はよく分からない唐からやってきた非漢系商人の血統と考えるのが妥当になる。朝鮮でこの命名ルールが定着するのは朱子学を信奉した李朝に入ってからになるし、高麗前半までは近親婚が普通に行われている(高麗後期=モンゴル時代は族外婚が普通になり族内婚は行われない)

 そもそも唐の性質を考えると商人が漢民族であることを担保しない。唐の場合、商人と言うとソグド人が思いつく国なので、可能性は無限にありうる外国商人の子と考えておけば良いだろう。大体唐の皇室は鮮卑系だし、皇后も匈奴系と鮮卑系が多い。

 しかし、王帝建の妻の出自は更に怪しく龍女になっている。後世神話化されたものなのだろうが出自は遼東から渤海にかけての貴族の家柄の可能性が高い。可能性として女真族や鮮卑族の血統が考えられるが、さっぱり分からない。開城王氏の族譜「聖源録」によれば、唐平洲の頭恩坫角干とあるが、これが更に輪を掛けて意味不明。角干は新羅では最上位の出自を示す。つまり基本的に聖骨(両親が王統)ではなければならないのだが統一新羅時代に聖骨はそもそも存在しない。一歩譲って真骨としても何故唐に住んでいるのかが謎。さらに名前が頭恩坫なので女真味を出している。もしくは創姓改名以前の新羅人かもしれない。まぁ後三国時代は庶民出身が多いので姓なし、名前も創姓改名の伝統的な名前が多いのだけど。平州まで行くと千年以上前から漢民族の植民地だからこのような名前が考えにくい。そうなると考えられるのは場所が違う(満州とか)、名前が違う(実は、なんとか公主)、両方違う(全て創作)になろうかと。族譜自体とってつけた嘘の塊なので無視するのが良いのかもしれない。

 王建の家は黄海を隔てた唐や渤海との交易で財をなした家だったのだろう。父親の代は交易商人だったことが分かっている。しかし今度は母親の記録がほぼない。

 この様に出自がはっきりしない高麗王の王建だが、唐の皇帝を権威づけに使って居るもののアイディンティは満州にあったらしい。そもそも高麗と言う国号は高句麗に因み、渤海に執着し、契丹を嫌っていた。

 この記録の非常に重要な側面は、新羅王が倭人出身だったり、朝鮮王が女真千戸出身だったりすることが記録として残っているのと同じで国家の正統性上必要なはずだからそうなっている側面もある。

 しかし、よく考えてみたらこの半島、外国人王朝しか存在しないので国家の正統性が国内に微塵も存在しないので、歴史を改竄しないと現政権の正統性すら担保出来ない。

  • 箕子朝鮮 …… 商(殷)の王族 箕子

  • 衛満朝鮮 …… 燕国出身の衛満

  • 楽浪郡 …… 漢の直轄地

  • 高句麗・百済 …… 満州から来た扶余族

  • 新羅 …… 島国から来た倭人

  • 高麗 …… 唐から来た商人

  • 李氏朝鮮 …… 東女真出身の女真族もしくはモンゴル人



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