【読書感想文】稲作の起源
古いトンデモ説でページが埋まりすぎ。殷や周の時代に小麦は普及していない。それは魏晋南北朝時代の話。しかし唐に至っても華北ではアワが相変わらず主流の作物。
棚田に関して言えば、棚田自体がかなり新しいモノで稲作伝来の証拠になりえぬ。日本における棚田は早くても6-7世紀、今の形になったのは室町時代から江戸時代にかけてであり、要するに治水や潅漑技術の発展によって可能になったものであり、水田稲作と関係ない。そもそも棚田が作られる理由として考えられるのは平地を潅漑つくして稲作に適した土地が無くなり、その労力を引いても山の上に田んぼを作るメリットがあるかぎりにおいて作られるものであり経済的なインセンティブが余りに低すぎる。
そして平野の未開発地域は中国においても清代に至るまで余っていた。
どうしてこの部分を無視するのかな。
水田稲作の前にタロ栽培がある説は、一度は入る道だが、自体の論証が薄い。しかし、稲が多年草であり、原始稲作は株分けにより行われたと言う考察は興味深い。そうなると稲作は田植えが先にあり、種まきが後に来ることになる。田植えすらまともに出来ない朝鮮半島では稲作は不可能になる。
しかし問題になるのがインディカ種とジャポニカ種の関係である。近年の研究によればこの2つは野生種の段階で遺伝子的に違う祖先を持つのだ(https://first.lifesciencedb.jp/archives/6056)。ここからが問題でインディカ原種は一年草でジャポニカ原種は多年草。そうなると水田稲作の発祥は長江や雲南ではなくジャポニカ原種が存在する広東の珠江流域が稲作の誕生地になりそうである。更にインディカとジャポニカの栽培化は独立して行われた可能性も出てくる。
越国をタイ人に当てはめているが前提となる言語分類が滅茶苦茶なので意味をなさない。シナ・チベット語族とタイ・カダイ語族における言語連続性は否定されている。シナ・チベット語族とタイ・カダイ語族の間の同一起源と思われる単語は借用の範囲を超えていない。そのため越人はベトナム人と考える方が無難だと思われるが、実のところ越語がどこに属するは全く分かっていない。要するに全て作者の妄想に過ぎない。したがって後続するタイ語族の南下による東南アジアへの普及自体がおかしな話になる。
作者はこの越人が日本に稲作をもたらしたと考えているようだが遺伝子的には越人に起因する遺伝子は弥生人は無い。来たとすれば呉人であることを示唆している。
この本は農学や稲の性質から稲作の起源を追いかけているのだが参考にしている文献にトンデモが多い。そのため結論が明後日の方向に行ってしまうのが惜しすぎる。
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