じいちゃんが死にたいと言った。

私のじいちゃんは
見取り図のリリーさんに似ている。

母方の、自慢のじいちゃん。
若い頃似てたではなく、
今も現在進行形で似ている。

背格好はリリーさんよりもがっしりしている。
じいちゃんが体調を崩したところは見たことがない。

性格は、本当はおしゃべりだけど、
それ以上に照れ屋だから、基本無口だ。

だからまあ、頑丈で不器用な男、みたいな感じ。


そのじいちゃんが昨日、
「死にたい」と言ったらしい。

___


じいちゃんとばあちゃんは、
山のふもとの一軒家で暮らしている。

ばあちゃんは、私が小2くらいの時に
くも膜下出血で倒れた。
奇跡的に一命は取り留めたけど、
それ以来ずっと寝たきりだ。

それから20年近く、
じいちゃんが一人でばあちゃんの介護をしてきた。

ベッドから車椅子へ、車椅子から車へ、
よっこいしょと抱えて乗せる。

ごはんを作って、エプロンと台を準備して、
口からこぼしたら拭いてあげる。

おしめも替えてあげる。

寝る時は、何かあった時のために、ばあちゃんの手とじいちゃんの手を紐で繋いでいる。
ばあちゃんが引っ張ったら、じいちゃんに伝わる。

じいちゃんはいつも黙々と
ばあちゃんのために動いている。


東京で刺激の多い生活を送っている私からしたら、
田舎で二人きり、
アミューズメントはテレビかスーパーくらい、
毎日とても退屈なんじゃないかと思っていた。

実際、ばあちゃんから頻繁に電話がかかってくる。
ばあちゃんが話したがっているというていでじいちゃんがかけてきて、すぐ照れながらばあちゃんに代わることもある。

ふたりにとって、
私という"孫"の存在がアミューズメントなら、
できるだけ私が話し相手にならなければと思った。

だから最低でも年に一度は会いに行っていたけど、
コロナで時が経ち、
さらに作家に戻って生活に余裕がなくなり、
じいちゃんとばあちゃんにさける時間は一切なくなった。

締切に追われ、寝れない日々が続き、
電話がかかってきても無視することが増えた。
イライラして、
私にも仕事があるんだからかけてこられても困る!と母親に言って、
いろいろ最悪だと思った。

もし今じいちゃんとばあちゃんが死んだら
絶対後悔してもしきれない。
どうにか会いに行く時間を作らなければ、
というせめぎ合いが続いた。

それで昨年11月、
ようやく丸一日ぽかっと休みができたので、
始発の新幹線に乗って地元へ向かった。

じいちゃんとばあちゃんは
ハンパじゃない喜び方をしてくれた。

まじで笑顔が弾けていた。

そのまま出雲大社へお参りがてらドライブに行った。

照れ屋なじいちゃんも、
今日ばかりはと矢継ぎ早に話かけてくれた。

今はどういう仕事をしょんなら、とか
テレビに吉本の芸人が映っとったけどありゃ仲間か、とか。(全然、大悟さん)

とにかく嬉しそうだった。

耳も遠いし、内容もスムーズに噛み合うことばかりではないが、
喜んでくれて本当にうれしかった。

そんな会話を続けていた時、
ばあちゃんが、

「お父さん、あ、▲▲さん(じいちゃんの本名)」

と、じいちゃんを呼んだ。

なにをそんなによそよそしい言い方を。

歳を取ると照れ隠しで言い方変えるんかなとか思っていたら、
またばあちゃんが、

「そうじゃ、※※※じゃった」

みたいなことを言った。

ちょうどトンネルに入ってうるさくなったので
何を言ったのか聞き取れなかった。

でもなんか言ったなと思って、
私は「ん?」と軽く聞き返した。

轟々とタイヤの音が響く中で、
何か変なことを言っているのが聞こえた。

「▲▲さんとは別れたけえな、もうお父さんとは言わんのんじゃった。も〜、私はすぐ忘れるけえなあ、ふふふ」

ん?

脳は処理できてないけど、
とりあえず反射で愛想笑いしながら、
聞こえた言葉をゆっくり引き返して、

頭と背中がサーッとなった。

…別れた?

は?

え?別れたん?

え?別れてないやろ。

何も聞いてないけど。

じいちゃんとばあちゃんが離婚したら
さすがに親から聞くやろ。

え、親が私に内緒にしとる?

え???

なかなか理解が追いつかないので
愛想笑いでごまかし続けながら
ずっと窓の外を見ていた。

ショックを押し殺しつつ、何度も考えた。

いや離婚するわけないやろ、
てか離婚の手続きとかできんやろ、
いや、ヘルパーさんがやったんか?
そこまでするほどなんかあったか??
なかよしだったやん!

そこで思い出した。


あ…

ばあちゃん、認知症きてんだった。

これ、認知症?

ばあちゃんの妄想?

いやそうだわ、そうだろ。
今さら離婚するわけねえって。

妄想だ、妄想だわ。
よかった。


いや、よくない。


全然よくねえんだよ。


さっきばあちゃんが本名でよそよそしくじいちゃんを呼んだ時、
じいちゃんちょっと、ギョッとしてた。


じいちゃん口数は少ないけど、よく見てたら
声色で感情はわかる。


じいちゃんのショックを想像したら
とてつもなく悲しくなった。

これだけ献身的に支えている人が、
突然、別れたていで話しかけてくる…

つらすぎる。

これが社交的な人だったなら、
なんやねん、よそよそしいなあ!笑
とか言って流したりできるかもしれないが、
じいちゃんみたいな不器用な人に突きつけられた、
過酷な沈黙の数秒だった。

けど、同時に思い出したことがある。

私の母親、つまり、じいちゃんの娘は、
じいちゃんと仲が悪い。

いつもじいちゃんに対して怒っている。
いつまでも、反抗期の娘みたいに。

大声で怒ってうるさい、
ばあちゃんが虐げられて可哀想、
とかよく言っていた。

私から見たじいちゃんは、
「私のだいすきな優しいじいちゃん」だけど、
ばあちゃんや母親がこれまでに見たじいちゃんは
どういう人だったのかはわからない。

もし母親が言っていることも事実だとしたら、
ばあちゃんが認知症になった今、
なにかしらの妄想がはたらいた時に、
これまで押し込めてきたじいちゃんへの不満が
妄想のストーリーに影響したのだろうか?

本当は別れたかったのだろうか。

昭和という時代、
風習や世間体を重んじる地方、
ばあちゃんがいろいろ我慢してきていたとしても不思議ではない。

認知症の脳のはたらきによって、
ばあちゃんなりに無意識が開放されたのだろうか?

そんなことが一気に頭を駆け巡った。

認知症の勉強をもっとしとけばよかったと思った。
裁判所でもたくさん勉強したが、一番難しいと感じた分野だった。

さっきサービスエリアで買ってもらった
あったかいりんごジュースが、
すごく冷たくなっていた。

いつまでもこおりついているわけにもいかず、
気を取り直して違う話題を振ったりして、
出雲大社までたどりついた。

出雲大社では「彼氏がほしいです‼︎」と全身全霊祈ろうと思っていたけど、
まず、じいちゃんばあちゃん、家族みんなが健康であってほしいと願わざるをえなかった。

きれいごとを書いているようだが、
そのくらいショックが大きかった。

(もちろん、彼氏が欲しいも言ったけども)

帰り道も、基本的には問題なく会話できたけど、
日が沈んで辺りが暗くなった頃、
車は福山に向かって帰っているのに、
ばあちゃんの中ではいつのまにか
倉敷に母親を迎えに行っている設定になっていた。

別れ際、じいちゃんは、何度も何度も何度も、
泊まっていけばええのにと寂しそうに言っていた。

その日の最終の新幹線に飛び乗って、
私は東京に戻った。


ああ、やっぱり東京は楽しい。

さっき岡山であったことは夢であってほしい。

でも夢ではない。

これを忘れる、というか、
見て見ぬふりをするのは、
家族として無責任だと思った。

だからまずできることとして、
出雲で撮った写真をアルバムにして送ろうと思った。

そこに手書きでコメントを書いて送れば、
会えなくても、電話を多くできなくても、
じいちゃんとばあちゃんが生きる上で楽しみがひとつ増えるのではないかと。

そこまでは思ったのに、
結局私は起きてまたすぐ締切に追われ、
写真だけ印刷したまま、今もアルバムを送れていない。

毎日、ああ書いて送らなきゃと思っては、
いや締切がやばい!とPCに目を戻す。

ほんとうに情けないが、
じいちゃんもばあちゃんも大変だけど、
私も私でどうしようもないくらい追い込まれている。
むしろ私が助けてほしい、と思いながら。

そして猛スピードで年が明けて、2023年になった。

正月の挨拶でじいちゃんとばあちゃんに電話したら、二人とも声が枯れていた。

心配してどうしたのかと尋ねると、
風邪を引いたという。
熱はないから全然大丈夫と言っていた。

ところが、数日経った早朝、
家電が鳴った。

よほどのことがない限り鳴らない家電。

ばあちゃんが倒れた時も家電だった。

電話は病院の人からだった。
じいちゃんとばあちゃんはコロナにかかっていた。

幸い、咳以外の症状は特にないらしい。


ただ、じいちゃんが死にたいと言っているらしい。


ヘルパーさんによると、
じいちゃんがだいぶ気が滅入っていると。

昨年末、私が来てくれたのが本当に唯一の救いだったらしいと。

ヘルパーさんも家族も、
まあコロナになってショックなんだろうけど、そこまで落ち込んでいる原因がわからないと言うが、

私にはわかる。

わかるというか、
あの状況、つらいに決まっている。

母親や父親、弟はあの状況を間近で見ていない。

私は怒って家族に言った。

あんなもん無理や!
家族全員でかわりばんこに間に入らな、無理や!
じいちゃんが潰れる。

親から何がそんなになん?と聞かれたが、
ばあちゃんが妄想で別れたと言ったことは
私はどうしても口にできなかった。

いいから会いに行ってくれとしか言えなかった。

アルバムひとつ送っていないのだから、私が偉そうに分担してくれと怒るのもおかしな話なのだが、認知症の介護は分担しなければ無理だと思った。

元気が取り柄のじいちゃんも、精神的につぶれてしまう。


90歳近くまで生きてきて、
まだ、死にたいなんて思う人生であってほしくなかった。

人間は一体いつまで苦しまなければならないのか。

母に言わせればそれは"ツケ"なのだろうか。

これほどばあちゃんを大事に支えてきて、
たとえどこか償いの気持ちがあったとしても、
愛がないと到底無理だと思う。
それが嘘でも妄想でも別れていたことになるなんて
どうしても私には悲しすぎる。


90歳になってもまだこんなつらいことが起こるのか
と思うと、人間とはなんなのかという気持ちになる。
いつか楽になれると思って
難しい社会を一生懸命に必死に生きているのに、
いつまでも楽になれないのかと、絶望も感じる。

やや宗教みたいな話になって嫌なのでやめるが、
自分のじいちゃんがそんな思いをしていると知って、本当に悔しかった。

じいちゃんには、今からでも楽しい思い出を作って上書きして、楽しいまま死んでほしい。

私がじいちゃんを楽しませるから、
じいちゃん、笑顔で生きて。

ばあちゃん、できるだけ電話するから、
私たち家族のことを、忘れないで。

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