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あきない
7月某日
晴れのち曇り。
朝、畑でミニトマトを収穫する。
「いいか。
商いはな、飽きねぇから面白ぇんだ。
だから "あきない" なんだ」
結婚をしていた頃、舅はよく口癖のようにこんなことを言っていた。
今からだいぶ昔の話だ。
農家をしていた義両親は、米や野菜を近くの直売所に卸して生計を立てていた。
思うように売れなかったり、悪天候で不作になったり、悩ましいことはたくさんだっただろうけど、舅は毎晩の日課である焼酎のお湯割を呑みながら、黙々と日々の作業や売上の記録をノートに書き付けていた。
そして、ことあるごとに先の言葉を呟いた。
まるで噛んで含めるように。
自分に言い聞かせるように。
「商い」は、人によって色々な言葉に変換できるかもしれない。
ある人にとっては「仕事」。
ある人にとっては「生きるためにやり遂げなくてはならない大事なこと」など。
1つのことを長く続けていくことでしか見えないものが、そこにはきっとあるのだろう。
だからこそ、苦労や経験が報われた時の喜びはずっと大きいのかもしれない。
舅とはあまり反りが合わなかった。
結婚生活もすぐに終わってしまった。
けれどあの時のあの言葉は今でも忘れられず、時折ふっと思い出す。
あれからだいぶ時は過ぎ、
私もいい年齢になった。
相変わらず何をしても長続きせず、飽きっぽい。
それでもいつか、かつての舅にとっての"商い"のようなものが、私に見つかることはあるだろうか。
半分は、見つかっているような気がする時もあるけれど。
よく洗って水を切った朝のミニトマトは、台所の隅であざやかに艶めいている。
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