「化化」随感: 「種別性」を「明示化」したい話

化化とは

年来、気になっている言語変化があり、私はそれを勝手に「化化」と呼んでいる。下にその例を挙げてみよう。

(1)   少子化により教育産業は縮小化傾向にある。

(2)   旧式化した施設の延命化が課題となっている。

これを見て「どこがおかしいの?」と思ったあなたは、まさに今をときめく「化化」世代の一人だろう。よっ本日の主役。解説すると、「縮小」や「延命」はそれ自体が変化を表す動名詞なので、同じく変化を表す動名詞を作る「-化」をつけると、意味がだぶってしまうのだ。「-化」が伝統的な意味で使われている「少子化」や「旧式化」と比べてみよう。

(3)   少子(子が少ない)+ -化(…になる)→ 少子化(子が少なくなる)

(4)   縮小(小さくなる)+ -化(…になる)→ 縮小化(小さくなる)

(4) のように、単独で変化を表す動名詞に、冗語的に字音接辞「-化」が加わる現象を、「化化」と呼ぶことにする(私はなんとなく頭高型アクセントで「カ]カ」と読んでいる)。漢文を基礎とする伝統的な造語ルールからすれば、この「-化」は余分だ。現に、「縮小する」「延命する」も広く使われているし、そちらのほうが規範的な形とされているはずだ。

語彙変化としての化化

この「化化」は、近年、日本語の書き言葉で急速に勢力を伸ばしつつある。とりわけ、商業・製造業など、企業の出している資料に多い。はなはだしきに至っては、「接着化」とか「出版化」なんていう用例まである。新聞や書籍では、引用を除けばまだあまり見かけないが、NHK で「武装化」という言葉が使われたこともある。

化化が広がっているといいながら、日本語の短期的な語彙変化を統計的に調べる手段をあまり知らないので(これが英語なら、Google Ngram Viewer で推移を見ることができる)、客観的なデータが出せないのはお恥ずかしいかぎりだが、Google Books でフレーズ検索をかけて出版年を見ると、書籍での傾向はいくらかわかる。「拡大化」を例にとると、1970年代にも用例があるものの、ヒットするのはほとんどが21世紀の本だ。

もちろん、化化形のすべてが新語法というわけではない。手もとのスマホで『大辞林』を開くと、古い化化形である「老朽化」や「具現化」は見出し語になっているし、むしろ「老朽する」「具現する」では古めかしい感じがする。化化に関しては保守派を気どっている私も、「肥大化」や「固定化」あたりはよく使うし、化化形の「鎮静化」と非・化化形の「沈静化」を、とくに区別して使っているわけでもない。

化化かどうか、見分けがつきにくい場合もある。たとえば、「排水化」は明らかな化化形だが、「無排水化」の「-化」はしっかり変化を表している。「安定化」や「硬直化」のように、感覚的には化化っぽいものの、語基に形容動詞としての用法もあるため、化化と判定しにくい例もある。このあたりについては、漢文や日本語史の知識のある方のご指摘にまちたいところだ。

余分な「-化」は何を表しているのか

「-化」のような字音接辞の用法に関しては、山のような先行研究があるので、私が「化化」と呼ぶこの現象についても、すでに論文があるかもしれない。動名詞のアスペクトか項構造あたりを軸に、化化が起こる条件や起こりやすい語の傾向を示すことができれば、きっと面白いにちがいない。

だが、それよりも気になるのは、化化が起こる理由だ。話者は化化によって何がしたいのだろうか。「-化」という余分なマーカーがついているからには、「-化」のない形は不十分とみなされているということだろう。では、化化が起こっていない形には何が足りず、化化は何を補っているのだろうか。

手はじめに、化化における「-化」が厳密に何を表すのかを考えてみたい。結論からいうと、もとの動名詞に含まれる変化 (inchoative) の成分を、「-化」という接辞で二重に標示するのが化化だ。この節のここから先は、それを回りくどく言いかえただけなので、この文だけで得心がいった方は、次の行から節末まで読み飛ばしてくださってかまわない。

まずは、化化現象を意味成分から分析してみよう。なんちゃって概念意味論だ。Jackendoff (1990) などの既存の枠組みを使ってもいいが、あれは基本的に空間表現用の枠組みで、場所性が入ったりして煩雑になるので、即席の記法を使うことにしよう。

化化形を扱う前に、まずは化化と無関係の例として、動名詞「高速化」とサ変動詞「高速化する」の意味の構造を考えてみよう。語にもよるが、変化を表す動名詞・サ変動詞の多くは、「鉄道が高速化した」のような自動詞用法と、「Windows を高速化したい」のような他動詞用法をもつ。それぞれについて考えてみよう。

ニュアンスの違いはあるだろうが、ここでは、「高速化する」の意味を、ひとまず「速くなる」または「速くする」と等価だと仮定する。また、「速くなる」ことは「速い」状態に変化することだから、それぞれの表現の意味は次のように分解できるだろう。BECOME や CAUSE は Excel の関数のようなものだと思ってほしい(Jackendoff (1990) だと AT だの INCH (inchoative) だのが出てくる)。

(5)   x が速い
FAST (x)

(6)   x が高速化する(自動詞用法)= x が速くなる
BECOME (FAST (x))

(7)   y が x を高速化する(他動詞用法)= y が x を速くする
CAUSE (y, BECOME (FAST (x)))

さて、これで「高速化する」のような変化のサ変動詞を意味分解することができた。次の問題は、「高速化」のような動名詞をどう分析するかだ。「高速化する」と「高速化」を比べると、「高速化」に軽動詞の「する」がついたのが「高速化する」だから、意味の上でも、「高速化する」は「高速化」に何か余計な成分がくっついていた表現であってくれると都合がいい。ところが、「高速化する」の意味分析である (6) はこれ以上単純化できそうもないので、「する」の意味だけを抽出するのは難しそうだ。

思い切って、動名詞よりサ変動詞のほうが基本だと考え、名詞化のゼロ派生接辞のようなものを立ててもよいのだが、なんとなく英語かぶれっぽくてシャクなので、ここは日本語の論理を貫徹してみよう。動名詞「高速化」の意味を次のように考える。動詞からデキゴトの名詞 (event noun, act of … ing) を作る関数を仮にACTOF (x) としよう。

(8)   高速化(自動詞用法)= x が速くなること
ACTOF (BECOME (FAST (x)))

(9)   高速化(他動詞用法)= y が x を速くすること
ACTOF (CAUSE (y, BECOME (FAST (x))))

ここで、(8) (9) に「する」にあたる何かを加えて (6) (7) を作るために、かなり無理やりだが、形動詞「する」の意味を「ACTOF関数を外す関数」だと考える。

(10)   (定義) DEACTOF (ACTOF (x)) = x

(11)   する(軽動詞)
DEACTOF (x)

(12)   高速化する(自動詞用法)
DEACTOF (ACTOF (BECOME (FAST (x)))

(13)   高速化する(他動詞用法)
DEACTOF (ACTOF (CAUSE (y, BECOME (FAST (x))))

ここまでの議論で、「高速化」の意味構造が (8) (9) であると仮定した。次に、「-化」という接辞が上記のどの部分に相当するかを考えたいが、こっちは意外にややこしい。「-化」がつく前の「高速」という語基の品詞がはっきりしないからだ。

「-化」は、「温暖化」のように形容動詞につくこともあれば、「データ化」のように純然たる名詞につくこともある。「高速化」「高齢化」に現れる「高速」や「高齢」は形容動詞ではないものの、モノを表す純粋の名詞よりも、形容動詞に用法が似ている。さらには、「具体化」の「具体」のように、あまり単独で使われない語基もある。

ひとまず、普通名詞も形容動詞も意味論上は一項述語だと考えると、FAST (x) に相当するのが「高速」と考えていいように思える(この点は、後で修正が必要かもしれない)。したがって、「-化」は FAST (x) から (8) (9) を派生させる関数だから、ひとまず次のように表せる。

(14)   -化(自動詞用法)
ACTOF (BECOME (x))

(15)   -化(他動詞用法)
CAUSE (y, BECOME (FAST (x)))

次に、いよいよ化化が起こる「拡大(化)する」の例を考えてみよう。ここでも、「拡大する」は「広くなる」または「広くする」と意味上等価だと仮定する。

(16)   x が大きい
LARGE (x)

(17)   x が拡大する(自動詞用法)= x が広くなる
BECOME (LARGE (x))

(18)   y が x を拡大する(他動詞用法)= y が x を広くする
CAUSE (y, BECOME (LARGE (x)))

ここで、(17) (18) が、同時に化化形「拡大化する」の構造でもあることに注意したい。化化形と対応する非・化化形は、基本的に自由変異の関係にあり、「-化」の有無で意味が変わることはあまりない。「拡大化」を使う話者が、「-化」のない「拡大」を「*この市場は拡大だ」のように形容動詞的に使うことはないし、「拡大する」「拡大化する」のどちらも使うという話者もいるだろう。もちろん、化化形を使わない話者も、化化形を聞いて、(17) (18) がさらに (14) (15) に代入された形だと誤解することはない。

つまり、化化形における「-化」は、新しい意味成分を付けくわえているわけではなく、あくまで語基のもつ意味成分の一部を繰り返しているにすぎない。具体的には、下の太字部分が化化によって繰り返されている部分だ。

(19)   ACTOF (BECOME (LARGE (x)))

(20)   ACTOF (CAUSE (y, BECOME (LARGE (x))))

この説の冒頭に書いた、「もとの動名詞に含まれる変化の成分を、『-化』という接辞で二重に標示している」という結論を、やたら回りくどく書くと、以上のようになる。こんな単純なことに我流のエセ概念意味論まで持ち出す必要はまったくないことに気がついたが、数式っぽい表現が出てくると、何か高尚なことを言っているようで気分がいいので、消さずに残しておこう。

なぜ化化が起こるのか

ここまで、化化形の「-化」が、語基の意味成分の一部を繰り返していることを確認した。次に、化化が起こる機能的動機を考えてみよう。これまで以上に証拠も何もない放談になるが、「随感」という本記事のタイトルに免じてご寛恕いただきたい。ここで重要だと思われるのは、次の2点だ。

(i)   変化の動名詞が、複雑な意味構造をもっていること

(ii)   「-化」で標示されているのが、カテゴリー的な情報であること

前節で見たとおり、「拡大」「延命」のような動名詞は、けっこう込み入った概念構造をしている。変化の概念は状態の概念より一段階複雑だからだ。しかも、「カクダイ」「エンメー」という音形には、「変化の動名詞である」という、語のカテゴリーを判定するための情報が含まれていない。

したがって、これらの表現は、それを解釈する聞き手に、けっこうな負担を強いる。「カクダイする」という語を聞いたら、脳内の辞書をひっくり返して、登録されているカテゴリー情報をいちいち参照し、場合によっては漢字まで思い出して、それが変化の動名詞であることを確認しなければならない。さらに、漢文訓読調を反映してか、多くのサ変動詞は自動詞と他動詞が同形だから、今聞いている構文に照らして、動詞の自他まで判定しなければならない。

ところがここで、親切な話し手が気をきかせて化化を起こし、「拡大化する」という形を使ったらどうだろう。聞き手は、(共通語なら)平板アクセントの「〇〇〇〇カする」という音形を聞いただけで、それが変化の動名詞であると瞬時に判別できる。さすがに自他の区別までは特定できないが、多くの派生接辞がそうであるように、「-化」がつく語の用法はどれも似通っているから、使用頻度の低い動名詞を裸で聞かされた場合よりも、自他判定の負荷は軽いにちがいない。

こうした理由から、私は、カテゴリー情報の明示、いや明示「化」が、化化の大きな動機であると睨んでいる。恥ずかしながら、語彙意味論には不案内のため、「カテゴリー情報」をどう定義したらいいのか、語根と事態構造を峻別することが本当に可能なのかといった疑問には答えることができないが、品詞や自他などの項構造、語彙アスペクトなどは、ひとまず「カテゴリー情報」に含めていいように思う。

このようなカテゴリー情報の冗語的標示は、実は日本語のいたるところで起こっている。たとえば、化化と同様に、「有効的」「寛容的」などの「的化」や、「関係性」「方向性」などの「性化」も進行している。統計的に調べたわけではないが、「固定化させる」「拡張させる」のように、使役性を「させ」で強調する、いや「強調させる」傾向も強まっているように思う。

これらはすべて、語彙カテゴリーや項構造といったカテゴリー情報を明示することで、聞き手の負担を減らそうという配慮の一種ととらえることができる。意味や機能の上で共通部分のある語は、形の上でも共通部分をもっていてほしいという、一種の isomorphism といえるだろう。

カテゴリーの透明性

化化やその類似現象に私が興味をひかれるのは、外国語学習者として、カテゴリー情報がどこにどれだけ明示されるのかという点を意識せざるをえないからでもある。

たとえば英語を勉強していると、この言語では、カテゴリー情報がとにかく音形に現れないことに気づく。代表的なのが品詞転換 (conversion) だ。英語では、text が動詞になったり、catch が名詞になったりと、何のマーキングもなく品詞が融通無碍に転換する。英語学習者なら、ニュースで次のような見出しを見て、どれが動詞かと一瞬迷ったことがあるだろう(ニュース記事は冠詞を省略することが多いので、なおさらたちが悪い)。

(21)   Disabled face discrimination in Myanmar

(22)   HSBC eyes New Zealand sale, axes UK branches as empire shrinks

品詞がわかっていても、別の意味でカテゴリー情報が得られずに戸惑うことがある。たとえば、agreement, deed, instrument, will といえば何の名前だろうか? そう、法律文書だ。日本語なら、「契約書」とか「〇〇証書」とか、文書の名前にはだいたい「-書」とか「-状」がつくので、それらが文書の名前であることが分かるが、英語はそんなに親切にはできていない。

同様に、planet, satellite, dwarf, giant の後に star はつかないし、basalt, granite, feldspar といった語にも stone や rock はつかない。日本語なら、「玄武岩」という岩を知らなくても、なんとなく岩の一種であることは察しがつくのだが。初見で rectory が建物の名前だなんて分かるか!

こうした感覚を反映してか、日本語の書き言葉では、「ニューズウィーク誌」とか「ハヌカ祭」のように、耳慣れない言葉には、そのカテゴリーを明示する字音接辞がつくことがある。もっとも、これは日本語に限ったことではなく、英語にも Rio Grande river とか tatami mat のような表現は無数にある。植民地期ナワトル語の文献では、スペイン語の単語に、似た意味のナワトル語が並置されることがあるが(tēcpan palacio「宮殿」 、āltepētl ciudad「都市」など)、これもカテゴリーの自明でない外来語を扱う話者の戦略のひとつだろう。

なんだか化化とあまり関係のない話をしてしまったが、カテゴリー情報のどの部分が語彙的にパッケージングされ、どの部分が接辞で表されるのかという言語差は、案外無視できないような気がしている。体系的にサーベイするのはものすごく大変そうだが、もし「カテゴリー透明性の言語類型論」なんてものができたら、ものすごく面白そうだなあと思っている。

もちろん、ここでは「カテゴリー情報」と乱暴にまとめてしまっているが、品詞ごと・言語現象ごとに起こっていることはまったく異なる。管見のかぎりでは、移動表現や結果構文など、ごく限られた領域では、たくさん先行研究がある(みんな空間表現好きすぎない? たしかに面白いけど、ちょっと偏りすぎじゃない? それよりもっと基礎的な構文のことも分かってないのに! ……と、専門が情報構造の人間としては思う)。

さらに関係のない話

ところで、私はメキシコの先住民語が専門なので、口すぎにスペイン語教師のまねごとなどもするのだが、スペイン語の接語重複 (clitic doubling) にも、かねて化化と似たようなカテゴリー透明化の匂いを感じている。

接語重複とは、目的語などの名詞句が明示されている場合に、それと同じものを指す人称代名詞が重なって出てくる現象だ(スペイン語教育では、redundant pronoun という用語のほうが一般的かもしれない)。ロマンス語だと、言語や構文によって、不可能だったり義務的だったりする。

たとえば、スペイン語では間接目的語を、英語の to に相当する前置詞 a(ラテン語の ad)で標示するのだが、(23) のような文を書いて母語話者に見てもらうと、だいたい (24) のように直される。

(23)   Regalo flores a Dolores.
          I.give flowers to Dolores
          「私はドロレスに花を贈る」

(24)   Le regalo flores a Dolores.
          to.her I.give flowers to Dolores

ここで挿入される le は、三人称単数の与格目的語代名詞(彼/彼女/それに)だ。(21) の間接目的語は a Dolores「ドロレスに」によって表されているので、理屈で考えれば与格代名詞は不要のように見えるが、スペイン語では、こういう場合、冗語的に与格代名詞を挿入することがある((23) のように、間接目的語が人名の場合は、ほぼ義務的)。

フランス語やイタリア語では、(主題化でも起こらないかぎり)このような重複は許されないので、大学で授業をしていると、仏文科在籍の学生さんが、「なんでこんなルールがあるんですか」と質問に来てくれたりする。残念ながら、そういう学生さんの熱意に応えるだけの学は私にはないのだが、そういうときに、「間接目的語があることを明示したいんじゃないでしょうかねえ」みたいなことを言ったりする。

たとえば、escribir「書く」という動詞は、英語の write と同じく、間接目的語があってもなくてもいい動詞だ。間接目的語をつければ、「××に宛てて〇〇を書く」のような意味になる。

これがナワトル語なら、決まった数の目的語接辞をつけなければならない関係上、二項動詞と三項動詞を厳密に区別するので、「〇〇を書く」なら ihkwiloā、「××に宛てて〇〇を書く」なら ihkwilwiā というように、動詞を充当形(applicative: 目的語をひとつ増やす形)にして三項動詞化を明示するところだが、スペイン語にはそういう語形変化はない。

そのかわり、間接目的語がある場合には、往々にして le(s) という人称代名詞が冗語的に現れる。直説法の定動詞の場合、接語代名詞は動詞の前に出てくるから、聞き手は、動詞が出てきた時点で、それが間接目的語をもつかどうか、つまり二項動詞の escribir なのか三項動詞の escribir なのかを判別し、後者の場合は間接目的語の出現を予期することができる。これなども、カテゴリー透明性を増大させたいという機能的欲求の現れではないだろうか。

おわりに

私が以前から化化を面白がっているのは、化化の背景にあるのと同じ動機(と私が勝手に思っているもの)が、ほかの言語現象にも見え隠れするためだ。しかも、私の周りの言語オタクの人たちが、カテゴリー透明性の話をしているのをあまり見かけない。けっこう目立つ特徴だと思うのだが。

どうやら自然言語というのは、項構造、事象構造、クオリア構造といったカテゴリー情報(場合によっては品詞も)を、あまり形態論的に標示しない傾向にあるようだ。母語話者にとっては自明だからだろう。

たとえば、自動詞と他動詞を厳密に区別するナワトル語にしても、動詞の形から自他を判定することは、基本的にできない(ただし、化石化した他動詞化接辞を含む動詞が多いので、「この音で終わったらだいたい他動詞」のような目安はある)。また、アサバスカ諸語のいわゆる classifier は、他動性を標示しているが、ナバホ語などでは完全に化石化している。

一方で、外来語や書き言葉のように、話者にとってカテゴリー情報が自明でない場合には、不足している情報が何らかの手段で補足されることがある。それが化化であったり、的化であったり、「疑問な点」「無関係な人」のような形容動詞化だったりするというのが、本記事のひとまずの結論だ。

さらに、こうした新語法がなぜ規範的でないかという話を、二重否定や同族目的語の話と絡めて書きたい気もするが、それは他日にゆずりたい。こんな乱文を最後までご覧いただき、ありがとうございました。少し気の早い気もしますが、みなさまの新年のご多幸をお祈りします。来年もすべての言語とその話者の上に祝福がありますように。

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