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5/6-12 ドタバタ日記

6日
ゴールデンウィーク最終日
特に、華々しい記憶は生産できなかったが、それでいてネガティブな気持ちにはならない。むしろ、家にいた方が渋滞や人混みの一部にならず。ずっとヘルシーな生き方だと言い聞かせる。
願わくば、報われてほしいと思う。


7日
ようやく図書館が開館し、一番乗りの空気を味わう。
面接練習を何度かこなすと、いま自分がどこにいるのか分からなくなる瞬間がある。それは、肉体的にではなく、精神的なものでもない、グラデーションされた線の上を歩いている。
回数が全てと聞くが、一日の限度はせいぜい1回なのだろう。キャリアセンターの受付の人は、またあんたかと言われても、苦笑いしかできない。


8日
帰路に立とうとしたら、ホーム内にはアナウンスが飛び交っていた。電車は、全て各停の文字が電光掲示板で埋め尽くされていた。夜中であったからか、利用者はまばらであったが、みなグルグルと歩き回っていた。
動いているのだから、ゆっくりと各停で踏みしめながら行けばいいじゃないと思いたいが、虚しく時間的余裕は今の僕にはなかった。

他の路線を使おうと、改札を通っていいか尋ね、カードを見せる。カードを表にした0.1秒で、もういいですよと言われた。これまで多くの人が押し寄せたに違いない。疲れていたのだろう。変なところで細かく、ひょんなところで雑になる。世界の事情は知り得てないが、日本らしさをそこにも感じた。


9日
面接を捉えるか。それは、先日にも考え記してきたが、今日もそれを考え込むことになる。あくまで面接は、「知りたい」「知ってもらう」と相互に関係性を持っている。しかし、フォーマルの場でもあるから、脳みそのマントル部分は見せず、また余所行きの話し方や考え方になる。
どちらが正しいかは、分からないが、脳みその掘削具合をコントロールできる者が、重宝されるのだろう。
僕の手にあるのは、雪かき用のシャベルしかない。
掘削するのであれば、この日記を見せた方がヘルシーだ。早々見せるものではないが。。


10日
今日からしばらく、作業をメインに机に向かう。ここ最近は、タスクが振り分けられ、その分のエネルギー配分にカロリーを持っていかれていた。ただ、最近は、勉強に面白味が薄れてきてると実感する。それこそ「作業」という行為に成り代わっているからなんだと思う。忘れないようにするための往復をしているだけで、講義を聞くこともなくなった。
作業であれば、それを燃焼させるのみ。


11日
ここ最近、喉の調子を崩すときがまれに起こるようになった。以前も、ちょんなことから、喉を痛めて、声が出なかった日が続いたことがある。そして、覚えのある予兆というか刺激が脳みそを通じて僕にそれを知らせた。想像通りというべきかは分からないが、またも声が出なくなった。声が出ないということは、意思疎通に鬱陶しさを帯びてくる。そうすると、無駄なカロリーを消費しなくてはならないから、疲労が溜まる。
病院で診てもらうと、ただの炎症だという。
幼いころから、喉は弱い方ではあったが、大人になって少しはマシになったのではないかと自負していた。
今は、脳みその信号に従って休ませる。


12日
相変わらず声は出ないが、それでいて机に積まれている教材は、一向に減りはしない。むしろ、こうゆうときだからこそ、雑用をするべきではないかと思う。合理的で素晴らしい提案だが、それだけで行動に移せるほど、人間は単純ではない。その思考回路があれば、この社会からは争いは消えているに違いないからだ。しかし、そういった直線的思考回路がいいとも限らない。曲がりくねることによって生まれる価値もあれば、その空白が豊かさを表す一つの指標になり得る。

そんな粘り気のある思考も机の上に積み上げて、もう一度ベットに潜った。



ドタバタ日記2024年5月13日
Tune of the One weeks / 今週の一枚

・環状線は僕らをのせて / the chef cooks me


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