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高校英語の観点別評価#04 自己評価と相互評価の是非

以前も書いた通り、私は自己評価や相互評価を多用している。たとえば、「話すこと(やりとり)」を評価するために2分間の対話をする場合、教員ひとりが生徒全員と対話すればざっくりと3コマの授業を費やさなければならない一方で、4人のグループワークにしてふたりが対話しているところを他のふたりが評価するという形にすれば、相手を替えて2回やっても10分程度で終えることができる。相互評価は、私にとっては「話すこと(やりとり)」を評価するための現実的な解決策である。

こういう話をすると、公平性をどう担保するのかと必ず聞かれるのだけれど、公平性にそれほどこだわらなければならないのだろうか。最初は100点満点中20点しか取れなかった生徒が頑張った結果30点取れるようになったとすれば、最初は60点だったけれど50点しか取れなくなった生徒よりも高い自己評価になることがあってもいいんじゃないだろうか。相互評価だって、簡単なルーブリックは用意してはいるものの、生徒たちが対話をちゃんと評価できるとは思わない。でも、対話しているふたりが一所懸命に自分の伝えたいことを伝えようとし、相手の発話を理解しようとしていることは判断できる。

要するに、何のための評価なのかということだ。生徒たちが自分の学びに活用するための評価だと考えれば、公平性に欠けるとか正当性に欠けるとか、そういうことは二次的なものだと考えられなくもない。

現実的な運用としては、この評価によって評定平均値に影響が出るわけで、場合によっては生徒の進路に影響を与えかねないので、生徒たちの自己評価や相互評価を、成績処理をするときにそのまま組み込むとは限らないし、ウェイトもそれほど大きくしてはいない。また、「話すこと(やりとり)」は相互評価だけでなく、年に2回ほどはALTとの対話でALTに評価してもらっている(3コマ授業を潰して行うわけだ)。もう10年近くこのやり方で評価をしているけれど、生徒や保護者から不平や不満が出たことはない(少なくとも表面化はしていない)。おそらく、生徒たちも納得できる(≑文句を言えない)評価になっているのではないかと思う。

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