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高校英語の観点別評価 #03 愚痴

論理・表現の場合、どうしても「書くこと」のウェイトが大きくなって、「話すこと(発表)」「話すこと(やりとり)」の順にウェイトが小さくなる。決して「話すこと」を軽視しているわけではなくて、物理的に「話すこと」の評価には膨大な時間を要するので、なかなか評価の機会を設けられないということだ。

たとえば、「話すこと(やりとり)」を評価しようと思えば、授業を3コマ潰さなければならない。授業でやらなければならないことが増えているのに、評価のために3コマも潰してしまっては、やるべきことをやれないままに年度末を迎えてしまう。指導主事は「生徒が話しているところを録画して評価すればいい」と言うけれど、それほど簡単なものではない。「やりとり」という以上は相手が必要なわけだが、生徒同士でやりとりをさせる場合、相手が英語の得意な生徒か苦手な生徒かで評価が大きく変わってくる可能性がある。ということは、相手を替えて複数回のやりとりを評価することが望ましいだろう。そうすると、3クラス担当していれば120人の動画を見なければならないわけだが、1分の対話でも2時間、2分の対話なら4時間分の動画を複数回見なければならないことになる。評価する身にもなってくれという話だ。時間がかかるという点では「話すこと(発表)」も同じだ。私の場合はアリバイ工作的に相互評価をよく使う。生徒が評価するわけだから、もちろん正当な評価にはならない。だから、配分するポイントは低くなる。そうすると「話すこと」の割合は必然的に低くなる。できることならもっと高い配分にしたいのだけれど、物理的にこのあたりが限界だ。

国語でも共通テストで「実用的な文章」なんてのが出題されると言われている昨今、是非、国語でも「聞くこと」「話すこと(発表)」「話すこと(やりとり)」の評価を導入してもらいたいものだ。英語よりも国語でこれらのスキルを高めることの方がずっと重要だと思うのだけれど……。


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