見出し画像

失われゆく日本語

シンガーソングライターとしながらライター、編集者として働いています。

社内では、いつもTokyo FMが流れていて、最近の話題となっている曲やプロモーションとして流れ続ける曲までさまざま。時には、懐かしい曲がかかることもあります。そんな音楽に時々耳を奪われながら、仕事をしているのですが、若手アーティストの素晴らしい歌声や演奏を分析したりするのが楽しかったりします。

「ああ、このアーティストが好きだから、このアレンジなんだ」
「海外であの曲が流行っているから、この曲調なんだ」
みたいに、作詞作曲やアレンジをしてきたからわかることがあります。

そんな中、いつも「もったいない」と感じるのが、歌詞に登場するボキャブラリーです。よくよく歌詞を見たりしていくと、使われている日本語は、日常会話程度の日本語だけのように感じます。曲を聴くと同時にハッとさせるような、ドキッとするようなことばを期待しているからかもしれませんが、何か核心を突くようなことばは、聞かれなくなってきているのではないか、また今後もそんな体験はできないのではないか、と思っています。

国際学習到達度調査(PISA)では、日本人の読解力が2015年の8位から2018年では、15位に下落。このことから日本人の読解力が低下していることが懸念されていますが、確かに若い子の読書離れはよく聞く話です。

もちろん、現代では、YouTubeにインスタグラム、TikTokなどあらゆる動画サービス、SNSなどに1日の時間を割いていることが圧倒的に多いと感じていますが、加えて、少しの隙間の時間さえもショート動画を見て、埋めてしまう。そのことによって、読書はおろか自分との対話の時間も削っているのではないかと考えています。

文学の世界はわかりませんが、少なからず音楽業界では、圧倒的に精神的な面での深さが日本語のボキャブラリーと比例して失われいるような気がしていて、歌い手は果たして、これからリスナーの気持ちや想いを包括していけるのか、代弁していけるのかと余計なことがどうしても頭をよぎります。「そんなお前はどうなんだ?」と突っ込まれる前に、この話をそっと終わりにしたい。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?