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世界の中でサバイバルした明治日本の偉大な先人たち! 『明治天皇の世界史』 倉山満 PHP新書


(2023年3月24日記)

本書のテーマは、明治天皇在位前後の日本と主に欧米の歴史です。
1866(慶応2)年12月25日、先帝せんてい孝明こうめい天皇が崩御ほうぎょされ、睦仁むつひと皇太子が明治天皇として即位します。
12月27日のことで、即位式の践祚せんその儀は翌年1月9日に行われました。
この時、天皇は数え16歳です。

先帝の孝明天皇、毒殺説が流布していますが、ほぼ、間違いありません。
首謀者は岩倉具視ともみで、実行者は女官として孝明天皇に仕えていた岩倉の妹です。
孝明天皇はガチガチの外国嫌いで、開国大反対、おまけに、あの卑劣な15代将軍の徳川慶喜を贔屓ひいきにしていたので、岩倉ら開国派、反徳川派にとっては邪魔でした。

明治天皇の治世は、以後1912(明治45)年まで続きますが、世界、欧米にとって激動の時代でもあったのです。
ヨーロッパでは、プロイセンが1864年にデンマーク、1866年にオーストリア、1870年にフランスに戦争を仕掛け、「予定通り」に3連勝して、ドイツ連邦を解体して「ドイツ帝国」を創建しました。
最大のヒーローは、「外交の魔術師」と称されたプロイセン宰相のビスマルクです。
プロイセン、英語ではプロシアと言いますが、統一されるまで、35の君主国と4つの自由都市からなるドイツ連邦の一員でした。
リーダー格はオーストリアでしたが、力をつけてきたプロイセンがオーストリアを下しくだして盟主となりドイツを統一、プロイセンの王、ヴィルヘルム1世がドイツ皇帝となります。

目次の一部をざっと紹介すると、

皇帝たちの時代、6人の皇帝たち
エンペラーとキングの違い
生き残りの鍵は立憲君主制
警告・激励・被諮問ひしもんの三つの権利
ハプスブルク帝国はなぜ弱かったのか
清朝300年の皇帝たち
明治天皇誕生
|西太后<せいたいこう>、出世と成り上がりの奇跡
1852年明治天皇のご生誕
約10万首の御製ぎょせいが果たした役割
運動を嫌う公家、体を鍛える西洋貴族
クリミア戦 日本の開国との見えざる関係
めざすは立憲政体
文明国への道
97回に達した明治天皇の地方巡幸じゅんこう
イギリスと日本だけが達成できた二大政党制
ハワイ王国、日本に政略結婚を持ちかける
絶妙なる日清・日露戦争
躍進する日本 なぜ明治27年に日本は清に勝てたのか
軍人に名誉を与える存在が君主
大国になった日本 そして、明治天皇崩御
明治大帝と他の皇帝を分けたもの

などとなっていました。

明治天皇は「克己こっき」の人でした。
維新で国の中心となる前は、宮中で100人単位の女官にかしずかれ、柔弱な面もありましたが、大久保・西郷の努力と働きようによって、周囲を気骨ある元武士らに囲まれ、本人の努力もあって、芯の通った名君に変貌したのです。

大久保の思いは天皇を「民の父母たる天賦てんぷの御職掌」とすることでした。天賦とは、生まれつき、という意味です。
当初は維新政府に権威づけする目的がありましたが、天皇自身の精進、修養がいちじるしく、名実ともに国家の支柱となりました。
若い時から、元田永孚もとだながざねについて、『論語』をはじめ、内外の古典を深く学び、自信を厳しく律する人に成長しています。
大久保が暗殺されてなければ、彼が宮内卿くないきょう、宮内大臣となって若き天皇の人格強化、政治や参加を促す予定でした。

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