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『天晴!な日本人』第39回 小さな巨人、徹底した日本の国益至上主義の人、小村寿太郎(6)

<お知らせ>

『安倍晋三元総理追悼論』(高木書房)を是非、読んで下さい。先日、レビューを公開しています。


安倍晋三元総理追悼論
深田匠
高木書房

現在までの最高の書であり、これ以上の内容の書は、たぶん出ません。著者の情熱と誠実さと公正さも卓越しています。一家に一冊、友人・知人にも配って下さい!! 


<本文>

あの戦争については、首を長くして待っている人のことは忘れていませんから、今少し、待ってて下さい。私もそれを伝えなければ、まっとうな日本人は増やせないとも考えていますので!

もう一方の説は、アメリカを入れると、日本の利益はどっちみち取られるから小村が正しいというものです。
外務省編の『小村外交史』(原書房)では、後者を述べています。小村は満州も日本の権益と強固な信念があったので、拒否したのです。
清と満洲について、諸条件を決めた『北京条約』には、日本と清以外の介入は認めない、の一項を自ら入れています。交渉に行こうとした伊藤を阻止して、自ら出向いた上でのことでした。
この人の意志の強さ、自己保身のなさは「天晴あっぱれ!」です。私は、後者を支持します。

アメリカと共同でやったところで、後にフランクリン・デラノ・ルーズベルト(FDR)という、日本嫌い、親中の大統領が現われ、同じこと、つまり排除されるのは目に見えています。
やり方は、大東亜戦争と同じく、日本挑発で、暴発させるでしょう。それ以前に、思い上がっていた日本軍が何かアメリカに仕掛けることも十分に考えられます。どっちみちダメになるなら、それまで日本単独の方がましです。
ただし、歴史にIFイフはなく、あくまで予想ですが。

以後、1906(明治39)年1月、桂内閣総辞職で小村も外相辞任、同年6月に駐イギリス日本大使として赴任します。公使館から大使館に昇格し、いよいよ日本も大国の仲間入りです。
戦勝後、イギリス、アメリカ、ドイツ、フランス、ロシアとの間で大使館昇格となっています。大使は、大国だけが交換できる外交官です。これも小村の功績でした。

1907(明治40)年9月、これまでの功績で伯爵はくしゃくという高位にじょされます。子爵ししゃく男爵だんしゃくの上で、貴族、華族になったのです。

日英同盟を2回延長、補強、1910(明治43)年8月22日に韓国を併合しました。1911(明治44)年には悲願の不平等条約改正で、江戸幕府が結んだ1858年以来の関税自主権を回復しています。

その間、1908(明治41)年8月、第2次桂内閣の外相になり、韓国併合、不平等条約改正を手がけました。また、今後の外交政策の大枠を定めた「帝国の対外政策方針決定に関する件」、満洲の方針についての「満洲に関する対清の重要問題」という二通の重要文書を閣議決定させています。

前者では、日英同盟を帝国外交の骨髄として厳守、一層イギリスとの関係を緊密にする必要性を述べています。現代の日米同盟を同じです。
前年には日露協約、日仏協約締結でヨーロッパとの関係は良好でしたが、アメリカとは日本人移民排斥はいせき問題、移民制限の日米紳士協定と怪しくなっていました。

同時に清との友好にも注意を払っています。後者の文章は、満洲での日本の特殊権益を列強に認めさせること、清や列強から反発を招かないことを要するとして、具体的にどのようにするかというために作成されたものでした。

懸案のアメリカとの関係では、1908(明治41)年11月30日に「日米協商」締結に成功しています。協約により、通商貿易の自由な発展、太平洋上で互いに所有している島々への不可侵、清における機会均等主義の保持が約束されました。
別名、「高平たかひら・ルート協定」とも言いますが、駐米日本大使の高平小五郎と、ルート国務長官に由来します。国務長官とは、日本なら外相で、このような点を覚えておいて下さい。

韓国併合も小村と桂首相の意図でしたが、列強はあっさり承認しています。
それどころか、ルーズベルトなどは、「韓国は絶対に日本のものである。韓国は条約の実行に無能である」とし、それゆえに日本が併合すべし、と語っていました。
在韓アメリカ公使のアレンも、「韓国の腐敗と陰謀による幻滅」を経験し、「韓国は日本に所属すべきものと考える」とワシントンに書き送っています。

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