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国のために散った若人たちの遺書と心 『いざさらば我はみくにの山桜』 靖國(やすくに)神社編 展転(てんでん)社




(4月7日記)

<前文>

本日は、1945(昭和20)年に戦艦大和やまとが、護衛の戦闘機なしで、10隻の艦船を連ねて、生還の望みなしの「沖縄特攻」を実施、述べ1000機に迫らんとする米軍の航空機攻撃と魚雷によって海中430mに沈んだ日です。
いよいよ、米軍を核とする連合軍が「アイスバーグ作戦」で沖縄に上陸し、大和は「一億総特攻のさきがけ」として運命に殉じたのです。

本書のテーマは、「主として、生還の見込みのない特攻で、お国のために散華さんげした若き軍人、防人さきもりたちの遺書」です。
これらは全て靖國神社で見られるので、日本人として機会を作って参拝に行き、実物を見て下さい。
本書の刊行は1994(平成6)年ですが、展転社から今も購入できます。学徒出陣、50周年を記念して刊行されたものを再編集しています。

学徒出陣は、大学、特に文系学生に徴兵猶予がされていたのを、戦況悪化のために停止して出征させた制度でした。
1943(昭和18)年10月21日、神宮外苑で雨天の中、出陣壮行会が挙行され、東條首相の訓示のあと、学生代表の東京帝国大学の江原君が答礼の辞を述べています。
代表者は、「生等せいら、もとより生還を期せず」、つまり、我々、学生は生きて還ってくることを考えず、お国のために殉じる、という決意を述べたのでした。

私はこの情景を想像する度に胸が熱くなります。
神宮には見送る男女の何万人という学生が、出征する学生らを見つめ、送別の心を送っていました。
この中には、愛し合うカップルも相当数いたでしょう。
大学生らの大半は、

「陸軍幹部候補生」
「陸軍特別操縦見習士官」
「海軍予備学生」
「海軍予備生徒」
「海軍二年現役士官」

などの幹部養成資格に進んで、少尉として従軍しました。
年齢はおおむね20代前半からなかばでした。そうした前途洋々の若者たちが、国、郷土、華族、愛する人々のために一身をささげたのです。

以下、若者たちの遺書を紹介するので、そこにしるされている心情、精神をよくよく考えてみて下さい。
現代の腑抜ふぬけの多い日本とは別の世界の若者の姿が浮かび、現在の自分の在り方を再考する機会となり、より善い生き方につながってくれたなら幸いです。

<特攻隊員の遺書>

全て現代かなづかいに直しています。階級は特攻死なので2階級昇進しています。

植村真久うえむらまさひさ海軍大尉、25歳。立教大学。
幼い愛児へ。
御前おまえが大きくなって父に会いたいときは九段くだんへいらっしゃい。そして、心に強く念ずれば必ず御父様の顔が心の中に浮かびますよ。」
「父は常に素子もとこの身辺を護って居ります。先に言ったごとく素直な、人に可愛がられるやさしい人になって下さい」

九段とは靖國神社のある地名です。

富沢幸光とみさわゆきみつ海軍少佐、22歳。北海道第二師範学校。
両親へ。
「幸光は闘魂いよいよ元気旺盛で出撃します」
「母上様、幸光の戦死の報を知っても決して泣いてはなりません。靖國で待っています。きっと来て下さるでしょうね。敵がすぐ前に来ました。私がやらなければ、父様、母様が死んでしまう。いな、日本国が大変なことになる。幸光は誰にも負けずにきっとやります」

師範学校とは、今の教育大学、教師になるための学校です。

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