気がついたら息子は4歳に、娘は2歳になっていた。男の子と女の子の違いなのか、生まれてきたタイミングの違いなのか、同じ家庭で育てていても二人それぞれの個性が際立ってきた。 息子は怖がりで、石橋を叩いて叩いてなかなか前に進まない慎重派。初めての人や場所がかなり苦手なので、新年度になると新しい教室が不安で「ほーくえん、いやだよ」と泣いている。コツコツと制作するのが大好きで、ブロックや粘土、砂場で息子オリジナル作品を作っている。 一方、娘は刺激を求める冒険家で怖いもの知らず。怖がり
この文章はわたしの第二子出産レポです。結論から言うと、出産で死にかけました。不妊治療で授かったこと以外は特記するような事柄はなくて、妊婦検診は異常なしでした。 これから出産を迎える方には怖い思いをさせてしまうかもしれない内容なので、それでも…という方はお付き合い下さい。怖がらせるつもりはなくて、自分に起きたことを整理するために書きました。 全ての妊婦さんが安全に、安心してお産を迎えられますように。どの妊婦さんも心がひとりぼっちになりませんように。本当に本当に、祈っています。
悲しい出来事があった。 わたしの人生で一番古い記憶は、1歳8か月の時、妹が産まれた時だ。わたしは祖父母の家に預けられていて、病院から「無事に産まれた」と連絡があった夜。 その次に古い記憶は、母と入浴している時のこと。なぜか思い出せないけど、わたしは「なんでおねえちゃんばっかりがまんなの」と母に泣きながら怒っていた。理由は些細なことなのだろうが、「お姉ちゃんなんだから」と親に言われ続けて子どもなりにストレスが爆発したんだろう。きっとどこの家庭にでもあるような、第一子あるあるな
子どもを産んで育てるのって、めっちゃめちゃに大変。昔、宜保愛子があかちゃんを産んで霊感がなくなって、末っ子を幼稚園バスに乗せた瞬間に霊能力が復活した、という逸話を聞いたことがある。ソースはないので真偽は確かではないけど、本当かもな、とは思う。 わたしは数年の不妊治療の後、ありがたいことに二人の子どもを授かり、それぞれ一年数ヵ月仕事を休んだ。夫は育休という形では休めなかったけど(社内にとある資格をもつ職員が夫含め数人しかいなかったので、月単位の休みを取ることが物理的に不可能だ
12月某日、テレビを見て3歳の息子が「これはなに?」と聞いてきた。見ると、海外の戦況を知らせるニュースだった。 ロシアがウクライナに侵攻した時、第二子の娘を出産した数ヵ月後だった。 娘を産むときに出血が止まらなくなって救急搬送、緊急手術ととんでもない量の輸血で命が繋がったわたしにとって、産科病院の攻撃、安全な場所で出産できない妊婦さんたち、泣き叫ぶ子ども、自国に残る父親と離れるあかちゃん……の数々の映像は本当に本当に悲しかった。 今も終わらないどころか、中東でもまた悲しい戦
祖母は四人きょうだいで、二人の妹と弟が一人いた。 祖母は四国地方の小さな港町で生まれ育ち、釣具の工場を営む曾祖父母から、むくむくと愛情を注がれて育ったと聞いた。 米寿を迎えた祖母は、今でも曾祖父との思い出を昨日のことのように語る。 町の喫茶店に連れて行ってもらってアイスクリームを食べたこと、お土産に買ってくれたコンデンスミルクがとっても幸せに甘かったこと。 経済的に余裕のあった曾祖父は所謂お人好しで、浮浪者と呼ばれる人たちに食事を食べさせたり、返ってこないとわかっていても借
もうすぐ3歳になる息子。この一年でぐぐぐっと成長した。 よく食べる子どもなので身長と体重は日に日に増している。妹が生まれて最初の数ヶ月は精神的な動揺からか、泣き叫んだりイライラして怒り続ける日もあったけど、今では妹と一緒に遊んだりケンカしたりときょうだいの様相になってきた。保育園で仲良しのお友達もできたみたいで、「きょうは○○くんとくるまであそんだ」「○○くん、おやすみだったよ」と子どもなりに人間関係を広げている。 わたしが息子と一緒に暮らしていて感心するのは、言葉や想像
日曜日は夫が仕事なので、わたし、2歳息子、0歳娘の3人で過ごす。 ここ最近は3人で散歩するのがルーティーンになっている。子どもたちに帽子を被せて虫除けを手足に塗り、娘をベビーカーに乗せたら出発。 今日の散歩は、ちょうど雨上がりだった。公園には寄らず、ご近所をプラプラと歩くことにした。 自宅は地方の小さな住宅街にある。日曜の昼過ぎなので車通りは少なく、のんびりしている。 息子は「どうろ、ぬれてるね」「ちっちゃいみずたまりだ」「はっぱだよ」と立ち止まり、目についたものを見