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サラリーマンのサバイバル記録

はじめまして。私はいわゆる普通の30代サラリーマンである。理系大学院を卒業して大手の日系メーカーに入社し、主に新製品開発に携わってきた。メーカーに入社した時、その会社は順調に業績を伸ばしており、順風満帆な社会人生活を想像していた。というよりも、仕事よりもプライベートを重視していた。仕事はプライベートを楽しむための金稼ぎの手段として考えており、いわゆる働くことに対して冷めていた。そこそこ楽してそれなりのお金がもらえて、人生そこそこ楽しんでゆるーく生きていくのが当時の考えだった。

だが、働くにつれて会社の閉鎖的な雰囲気と業績の行き詰まり感に窒息しそうだった。事業部のビジョンや将来が見えないので、自分がやっている仕事が何の役に立っているかわからず、周りで働く人の目も腐って見えた。最初は割り切っているつもりだったが、徐々に会社員として働く意味を見出したくなってきたらしい。何故こんなつまらない職場で一生働かねばならないのか。

そこで他の事業部への異動を検討し始めた。その会社には個人が自由に異動を希望できるリクナビのような社内応募サイトが運用されていた。私は希望部署の目星をつけて応募することにした。いろいろと経験者の話を聞くと事前の根回しも必要だそうだ。わざわざ休暇を取って別の事業所にいる応募部署の責任者にも直接会いに行った。

根回しも完了し、いざ申請しようとすると、人事から「あなたは申請できません」とのメッセージが。後からわかったことだが、私がいる事業部はコア事業として認められなくなり、切り離されることが内定していた。つまり、切り離される部署を新事業会社として設立し、全員そこに出向させることが決まっていたのだ。これに先立って、部員が逃げ出せないように部署限定で異動禁止令が出ていたのだ。体のいいリストラ作戦にはまってしまった。

このとき、ようやく私は自分の人生を真面目に考え始めた。入社して5年ほど経ったころである。考えるのが遅すぎた。その点は後悔している。私は本当は何がしたかったのか、会社で何を実現したかったのか、プライベートでは何をしたいのか。普通に考えれば、このリストラは極めて悪い状況である。周囲も一斉に転職しはじめた。しかし私はこの事業切り離しを受け入れ、このどん底の状態からサバイバルすることを選択した。実は、正直な気持ちとして少しわくわくしていた。大企業病から抜け出してもっと自由に働けるようになるかもしれないと思ったからだ。

大企業に望んで入ったのに、大企業が嫌いになり、大企業から抜け出したかった。

ここから私のサラリーマンサバイバル人生が始まった。ゆるりと生きる目標はガラリと変わり、どん底の企業で一から這い上がる人生が目標になった。その後、新事業会社は予想通り買収され、他の競合他社と統合を繰り返し、業界再編の波をいくつか乗り越えてきた。私自身も若手管理職に抜擢され、手間がかかる新入社員や、言うことを聞かない年上部下と、そして数少ない理解し合える同志と懸命に会社を動かしてきた。新会社なので優秀な人は得られないし残っていないのだ。限りあるリソースで何とかするしかない。私自身も管理職としては最低レベルだった。大企業の優秀なヨイ子ちゃんは1言っても100理解してくれる。そんなぬるま湯環境が当たり前だと思っていたらマネジメントなんて出来る訳がなかった。

なお、今はそんな混乱する日本の本社を抜け出し、買収した地場企業で海外駐在員としてグループ企業の事業成長に携わっている。こちらも統合の混乱期にはあるのだが、日本よりもいくらか合理的に物事を進められるところが救いだ。海外の経営資産を活用し、本社を巻き込んだ抜本的な事業変革をしていくことが今の使命だと思っている。

このノートでは、特に得意な専門性を持たない普通の会社員が、サバイバルの中で得た経験を整理して書き残していきたい。そして10年経ったときにこのノートを見返すのだ。自己満足だが私が歩んできた人生の証として。

また、業界再編による会社変革ノウハウはこれからの不確定な時代を生き抜く重要な術になるだろう。年功序列が廃止され、AIが進化し、デジタルイノベーションが頻発する。このような変革社会の中で最も重要なのは、変革の中で会社を動かしていくリーダーシップである。社長や経営陣だけでなく、現場の実働部隊としてもリーダーシップが絶対に必要だ。私がこれまで得た小さな経験が少しでも読者のためになれば本望である。

そのようなわけで、平凡サラリーマンのサバイバル記録がはじまる。


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