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ドラゴン桜2ドラマ放送記念企画「No.1に訊け!」 #02「スポールブール日本代表」豊田想さん

ドラマの初回放送から大きな話題となっているTBS系列日曜劇場『ドラゴン桜』。ドラマ版・原作マンガ『ドラゴン桜2』それぞれで、主人公・桜木建二が繰り返し発するのが「しのごの言わずに東大に行け!」というメッセージ。

「東大へ行くこと=No.1を獲ることに理由はいらない。ただNo.1になることが大切である」という桜木のメッセージをより深く理解するため、No.1の称号を持つ様々な方にインタビューをするnote連載「No.1に訊け!」を開始しました。

連載第2回は「スポールブール日本代表選手」の豊田想さんにお話を聞きました。

豊田 想(とよだ そう)
スポールブール日本代表選手・代表監督・日本スポールブール連盟会長。
2003年から2020年現在まで、世界選手権で9大会連続で日本代表となっている。 2013年バイアブランカ世界選手権では、日本新記録で本場ヨーロッパで活躍するプロのメダリスト選手を破るなどの活躍をみせ、世界第10位となった。2017年カサブランカ世界選手権では監督兼選手として出場し予選で本場フランスと同グループとなるが、メダリストに2連勝し予選1位で通過。世界第9位となる。  2019年アジア・オセアニア選手権ではメダリスト選手を破り優勝、2019年メルスィン世界選手権では日本史上初のベスト8となる第6位となった。 日本選手権優勝29回。全4種目の日本記録保持者でもある。

世界最古の球技スポーツ「スポールブール」。

ーーまず豊田さんのご活動について教えてください。スポールブールとはどのようなスポーツなのでしょうか?

「スポールブール」とはフランス語なのですが、英語だとスポーツボールで、日本語に訳すと「球技」を意味します。基本的なルールとしてはボールを転がして、目標のポイントに近づけたり、投げて当てるというシンプルなものです。

スポールブールは世界最古の球技と言われているスポーツで、狩りをする時に獲物を仕留める能力や、獲物をおびき寄せる能力など、人間に本能的に備わった能力をより一層伸せるように誕生したとも言われています。

ーー世界最古とは、具体的にはどれくらい前からやられているのでしょうか?

スポールブールをする様子が描かれており壁画もあり、紀元前からされていたようです。昔は競技して完成されていたというより、石をめがけてものを投げたり、身の回りのものでやっていたようですが。

現在のスポールブールの原型が出来たのが紀元前10世紀頃で、スポールブールから派生して、ボッチャ、ペタンク、ボーリング、カーリングなどのスポーツが誕生しました。

ーースポールブールのルールについて教えていただけますか?

スポールブールは大きく分けて二つの種目があります。一つ目はトラディショナルというもので、カーリングやボッチャのように球を転がして、相手より何球多く目標地点に球を近づけられるかを競うものです。

もう一つが、ティール競技というもので、目的球にボールを投げ当てる種目です。例えば、五分間走りながら玉を投げ続け何球目標地点当てられるかを競うものなどがあります。

練習初日に「君ならオリンピックに行ける」と声をかけられ、No.1を目指せる環境に大きな魅力を感じる。


ーー豊田さんのスポールブール選手としての実績を教えてください。

スポールールの日本代表選手を20年間務めており、スポールブール競技の全4種類の種目で日本記録を持っています。

現在は日本代表監督とスポールブール協会の会長も兼務しており、選手としての活動だけでなく、競技の普及や選手の育成にも力を入れています。

ーーすばらしいですね。時節柄、国際大会の開催は難しいと思うのですが、元々は世界大会にも出場をされていたのですか?

これまで、イタリアやフランスを中心に、ボスニア、アルゼンチン、クロアチア、モロッコ、トルコ、オーストラリアなど、世界各地で開催される国際大会に出場してきました。

現在はコロナ禍の影響で国際大会は中止となっているのですが、今年10月にはイタリアで開催される予定です。

ーー豊田さんがスポールブールを始められきっかけを教えていただけますか?

スポールブールに興味を持ったきっかけは「特命リサーチ」という番組を観たことでした。その番組の中で、「素人がオリンピック選手になれる可能性のあるスポーツ」としてスポールブールが紹介されていて、興味を持ち始めました。

もともと野球と陸上をやっており、走ったり球を投げたりするスポーツであるスポールブールを知って、これは自分に向いているのではないかと思い、始めてみることにしました。

ーー当時は今よりも競技人口が少なかったと思うのですが、まずはどうされたんですか?

スポールブールをされている方を探して連絡し、練習に参加させてもらいました。

練習初日に、「君ならオリンピックに行ける」と言われ
、一層やる気が湧いて本格的にスポールブールに力を入れることにしました。スポールブールはオリンピック競技ではないんですけど。

もともと本気で高校野球をやっていたのですが、途中で辞めてしまって。それ以来、全身全霊をかけられるものを探していました。全く未経験のものをやろうというよりも、これまで自分が培ってきたものの延長線上にあるものが良いなと思っており、スポールブールに可能性を感じました。

ーー日本代表になるまでは、どのような道のりだったのですか?

初めて一年くらいで日本代表になることができました。本当にライバルが少なかったんです。

スポールブールを始めた当時、私はハタチくらいだったのですが、50歳くらいの方と試合をして負けてしまったのが悔しくて。そこから本気でやろうと思い、勤めていた会社を辞めてアルバイトをしながら練習に打ち込んだ結果、日本代表になることができました。

ーースポールブールの日本での競技人口はどれくらいなのでしょうか?

現在は50人くらいです。私が始めた当時は5,6人くらいでしたので、一試合で日本一が決まる感じでした。もともとやっていた野球は競技人口が多くて日本一になるのは難しかったのですが、スポールブールは競技人口が少ないこともあり、比較的スムーズに日本一になれました。

東大テニスサークルで感じた、No.1ブランドの力。


ーースポールブールでNo.1になるために工夫されたことを教えていただけますか?

まず、スポールブールという競技を選ぶことが、一番工夫したことです。競技として自分に合っていたことと、ライバルが少ないこと、そして世界大会も行われていることに魅力を感じました。

ーーやはり日本一になることがモチベーションだったのでしょうか?

はい、そうです。スポールブールを始めた当時、私は学生でなく社会人だったのですが、東京大学のテニスサークルに所属していました。

サークルの合宿に参加した際、合宿所の人は私のことを東大生だと思っていて、握手をしてくださいと声をかけてくれたり、この人こう見えても東大生なんだよ、と周囲の方に紹介してくれたりなど、チヤホヤしてくれました。

また、サークルメンバーとして参加した東大の学園祭でも、高校生の方から来年東京大学を受けるので握手してください、とか言われたりして。

そこで東大のブランド力を体感して、自分も自信を持てるような何かが欲しいと思うようになった時にスポールブールに出逢いました。


ーーそのあとのトントン拍子を見ると、自分が輝ける場所を選ぶことが大切なんですね。

そうですね。ただ、スポールブール1本に絞ったのは30代の頃で。20代の間はスポールブールもやりながら、世界中を旅したり、ジャグリングのプロを目指したりしていました。

ただ、ジャグリングもある程度競争がありますし、旅をするといっても上には上がいるのでなかなか一番にはなれなくて。最後に残ったのがスポールブールでした

もともとは野球で突出した存在になろうとして、色々トライした結果、どんどんニッチなところに行き、最終的にスポールブールにたどり着きました。


No.1になるために、「自分の舞台」を探せ!


ーー少し抽象的な質問になりますが、何かの分野でNo.1になるために大切なことはどんなことだと思いますか?

「自分の舞台」を探すことに時間をかけること、だと思います。

私はこれまで色々なことをやったうえで何をするか絞っていったきました。だから、まずは自分がNo.1になれる舞台を探して、それが定まったら、本気でやるということが大切だと思います。

色々なことをやってからでないと、やっぱりあの道があったんじゃないかなど思い集中できないので、まずはやりたいことをひたすらやることが大切だと思います。 

そうやってスポールブールに出逢い、ひたすら努力を重ね、10年かけて世界ベスト8になることができました。

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ーースポールブールでNo.1になって、よかったことはどんなことですか?

No.1になると、また次の目標が出てくることです。

私はスポールブールで日本一になった後、これ以上強くなるには世界を舞台に戦うしかないと、2009年に会社を辞めて1年間オーストラリア・イタリア・フランスにスポールブール留学に行き、現地のクラブや代表の練習に参加をしました。

そこで新しい考え方、新しい戦術に触れ、新たな世界を見ることができました。この経験は日本一の選手になっていなかったらできないことだと思うので、No.1になって良かったと感じでいます。

ーーまさに開拓者という感じですね。

No.1になってから、さらに上を目指すには、自分だけが強くても意味がないということ気付きました。そこから、日本での環境を整えたり、競技人口を増やしたりというところに目がいくようになりました

ーー個人のプレーヤーとしていくところまでいった時に、次は世界で戦うことを考えたら、育成や啓発活動に力を入れていくという。

そうですね。ある程度世界で勝ったという実績と自信がないと、相手に教えるということはなかなかできないので、競技を背負って立っているからこそできることだと思います。

競技人口が増えれば増えるほど、競技の価値も高まって、No.1の価値も高まる、過去に日本一だった人の価値も高まると思っているので、今後も普及活動に力を入れていきたいです。。

スポールブールをもっと日本に普及させるために。


ーー豊田さんの今後の目標を教えていただけますか?

今後は大きく分けて3つあります。

まず一つ目は世界一になることです。スポールブールのいいところは、あまり体力を使わないので、選手としては年齢関係なく、成長し続けることができることです。だから自分にはまだまだチャンスがあると思っています。

二つ目は、競技の普及活動で、今後、四十七都道府県にスポールブールのクラブを作りたいと考えています。

去年から、自分が設立に関わった7チームでブールリーグというリーグ戦を始めました。5月に私の住んでいる静岡市の御殿場で日本シリーズを計画していたのですが、コロナ禍でできなくなってしまいました。

三つ目は、世界選手権を日本に誘致することです。そのためには日本が強くないとできないですし、環境も整っていないといけないですし、。財政の問題もあります。

そのため、今住んでいる静岡県の御殿場市の役所の方とスポールブールを盛り上げるために何ができるかという話をしています。日本にスポールブールを普及させるためにはどうすれば良いか、ということをずっと考えています。

ーー最後に、スポールブールの魅力を教えてください。

スポールブールの魅力は非日常感を味わえることです。

金属の球を青空の下で投げる、球同士がぶつかった時のカーンという音が辺りに響き渡る、といった体験は、なかなか他の競技では味わえない非日常感がある魅力ものだと思います。

スポールブールをしない限り、なかなか人生で金属の球を投げることはないと思いますからね。

ーー素敵なお話、どうもありがとうございました。


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