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箱詰めされた心。余白のある身体

〜みたにノ戯言p.4〜



 制限された生活を誰しもが疎む。

 開放されたいと願い、自由を妄想する。
手元に無い物を望み、埋められた願いの横に、次の願望が巣穴を掘る。

 別にコロナ禍じゃなくても、何かから逃れたいと身を捩った事は、誰しもあるだろう。僕も洪水のように襲い掛かる痛みの渦に流されないよう、しがみ付いたり、逃げたりを繰り返して生活している。憶測でしかないが望むものを持たず、どのような制限も厭わない人間は、生きる事をやめた者か、死体ぐらいだろう。


 そして、人間の面白い事は、心では自由を求めても、実際は制限なしでは生きられないと言う事だ。無限の選択肢からは人は物を選べない。情報の処理が追いつかないから、勝手に制限を生み出してしまうのだ。会社や学校に縛られたくなくても行って無いと落ち着かなくなったり、気持ちが落ち込んだりする事は、経験ある人も多いだろう。嫌いな事だろうと、好きな事だろうと、人は何かに縛られてないと生きていけない。

 ここまで読んでいる人は、そうそういないだろうが、制限は苦しみを生み出す切っ掛けのように見えているかも知れない。たしかに、制限によって、苦しみも辛さも生まれる。だが、僕はこの上ない苦しみを知る人こそ、最高の幸せに最も近い人々だと思う。ここから開放されたいという思いは、これまで思いつきもしなかった物を提示する。笑って喜んで、至福を味わう事が出来るのは、沢山の辛い時と苦しみを潜り抜けたからこそなのであり、苦しみの力が強いほど、大きな反動により幸福を感じる。


 まあでも、痛みを感じなくて良いので有れば、それはそれで幸せなんだと思う。ただ僕は平坦で上に上がることしか出来ない幸せよりも、上下左右に縦横無尽に駆け巡る充実が欲しい。


時間やお金を掛けてもたどり着けないものがあると信じて


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