私の、私による、私のための自意識。ドヤりにスタバ行く暇なんて私にはない
スタバの前を通りかかると、コーヒーを片手にのんびり過ごしているひと、小さなケーキを囲み友達とおしゃべりしている女子たち、ノートパソコンで作業してるビジネスマン、各々が各々の目的で過ごしているのが見える。
いい香りとおしゃれなインテリア、広々した空間にゆったりとした雰囲気。
いいなぁ、素敵だなぁ。なんて和んでいると、私の隣にいる彼がひとこと、
「でたでた、ドヤラー!」
えっ…??
どんなテンションかというと、
ヽ(´∀`)♪ ←こんな感じだ。
自宅ではなく、敢えてカフェなどの外で仕事や勉強する人の気持ちが彼は全く分からないと言う。
だから決まって彼はスタバの前を通りかかると「ドヤラー」をわざわざ見つけ出し、嬉々として揶揄するのがお約束になっている。
ガラス越しにPCのリンゴマークが見えるような窓際の席の人なんて彼の格好の獲物だ。
私はカフェで作業するのが好き派、だ。
日常からちょっとだけ離れ、ちょっとした贅沢を味わうことができる。
忙しない日々を過ごしているときは、ふと立ち止まり自分を丁寧に扱うことでザワついていた心が整っていく。
自分をリセットできる素敵スポット。私にとってカフェはそんな場所。
仕事をするにしても、1時間など時間を区切ることで集中できるし、達成感を味わいながらの最後のひと口もまだ醍醐味。
私は自宅だと怠けてしまうタイプだから、カフェに行った方がシャキッとできるし、気分転換にもなってアイデアが閃いたりもする。
いつもとは違う、ちょっと特別感のあるワークタイム。
自分のペースで仕事もはかどってご褒美にもなる。
普通に最高じゃないか。
家の方が集中できる、お金も時間もかからない。
ほう、それは認める。
でも、敢えてカフェでPC作業をするのは決して「オシャレに仕事してる自分ステキでしょ?!」と見せつけるためじゃない。
(そういう人は実際にいるのかもしれないけれど)
彼よ、私は決してドヤりたくて人がたくさんいる環境に飛び込んでるんじゃないのだよ。
自宅だと怠けてしまうからどこか別の場所に行くとシャキッとするし時間制限設けられて集中できるのですよ。
そんで手頃さも念頭に置いて探すとなると、自ずとカフェになってしまうのです。かわいいとかおいしいとかのトキメキも用意されてるしさ。
自分で自分に酔っているのでは?と言われると、それは。
否定したい気持ちもあることを否めない一方で確かにその類の感覚は無きにしも非ずと言っても過言ではないところもある気がしないでもない。
えっと、自分に酔ってるところはあるかもしれない、ということ。
言いたいことは、私の意識は自分の中に、つまり内にしか向いていないんだということ。
ちゃんとしたお化粧デビューをしたのは周りよりも遅くて、30歳でやっと人並みにするようになった。
美容って自分のためにするものなんだと気づいたのもたぶん標準よりとても遅い。
自分のソトヅラを小綺麗にする行為はソトのためのものだと、頭でっかちに認識していた自分にとってはポジティブな驚きだった。
美容は日々の自分のご機嫌にするものであって、ソトのためじゃなく自分のためにやるもの。
大切な自分を、大切に扱うことの楽しさに気づいた私はやっと皆と同じようなテンションで口紅を塗れるようになった。
派手なネイルは男ウケ悪いよ?
毎月まつ毛上げたって誰も気づかないよ?
大量にあるリップどれも同じ色にしか見えないよ?
そんなソトからの雑音が自動的に遮断されるほど、自分を大切にするという行為は楽しい。
何といえばいいか分からないけれど、せめてたったひとりの自分からは良く思われたい。
チャームポイントは活かそう、コンプレックスとちゃんと向き合おう。
日々のわたしのご機嫌のために。
その他大勢に良い顔するつもりはない。
「自分と向き合う」
よく聞いたことがあるけれどいまいちピンときたことがないこのフレーズについてじっくりと考えてみたことがある。
会社という組織に嫌気がさしていた私。
自分ひとりでなんかやってやらなきゃ。
でも私に何ができる?
私ってどんな人間?
何が好きで、何が嫌い?
何を目指して生きている?
じゃあ、「自分と向き合う」の具体的な方法は?
そんな疑問に初めて出会った。
自分なりに堂々巡りした結果見えてきた自分なりのそれは、「他を絶対に見ないこと」だった。
ふむ、そういえば私が筋トレでいちばんキツいと思うのはプランク。
他のことを一切何もしないのが実は地味にいちばんキツいんだよな。
試験勉強の集中力が切れるとついおやつやテレビに逃げてしまう
仕事に飽きてくるとつい無意味にスマホに手を伸ばしてしまう、
人間関係に疲れてくるとつい他人の欠点ばかり目についてしまう、
よそ見することは脳に負担がかからない。
目を逸らし続けてきた自分の欠点や空虚から目を逸らさない、己だけを見つめ続けることがいかにキツくて難しいかに気づく。
何日もかけて自分の解像度がどんどん上げていくと、それまでは知らなかった新しい自分に出会うことができた。
もやのかかった道が少しずつ明るくなっていく感覚。
自分の良いところもそうでないところも探っていくことで、少しずつ己への愛着が増していく感覚。
たぶん自分と向き合って生きている人は他人のことがどうでもいい。
芸能人のスキャンダルに飛びつくより家族や恋人とおしゃべりした方が尊い。
見合わない異性と無駄に会うより、新しい自分と出会う方が有意義だ。
同僚の欠点を誰かと言語化するより家に帰って読書でもした方が気分が良い。
他人に食いつくのは楽だけど何もうまれないから、食いつく相手は己にした方が良い。
自分に食いつこうとすると、苦しさで自分が自分から逃げてしまうけれど、逃げ惑う自分から振り払われずに食いつき続けた人にしか見えない景色がある。
私は、私からの視線だけにアンテナを張る。
ドヤりたいんじゃないし、モテたいんじゃない。
なりふり構わず自分を見つめ続けたいだけ。
だって私は私からの評価しか要らない。
自分だけを見つめ続けるから、ソトからの承認を満たしてる暇なんてない。
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