見出し画像

「足るを知る」から「あたいにフィット」へ。抱負がギャル化した限界フリーランスの閑話。

こんにちは。

フリーランスフォトグラファーライターエディターディレクターの三谷です。(限界)

最近流行りの「セレンディピティな動き方」を気付かぬうちに2年ほどしていたせいで肩書きが渋滞していますが、おかげさまで昨年も多くのお取引先様やSNSで繋がりのある皆様に支えていただき、生きることができました。

皆様ありがとうございます。

本年も宜しくお願い致します。

さて、いつもは年末になると「一年の振り返りと新しい抱負の宣言(ドドン!)」みたいなことをするのですが、昨年末はそういったことは一切しませんでした(まっすぐな眼差し)

▼昨年はなんか年始から難しい話をしていたようです

振り返りをしなかった理由は単純で「他にやりたいことがあった」から。

「年明けから始まる仕事の準備をしたかった」
「ストロボライティングの練習をしたかった」
「作業に集中できる環境を作りたかった」
「お金の整理をしたかった」
「本を読みたかった」

などなど、ある意味では、振り返りや目標設定をする「やる気が起きなかったから」とも言えますが、今回の三谷くんが大きく違うのは「やる気がない状態をポジティブに捉えられるようになった」こと。

ようやくこうしてnoteの筆(?)を取ったことですし、簡単にまとめてお話ししていきますね。

This is サイコーにちょうどいい「読んだ」

突然ですが、実は昨年の秋頃から、新聞紙の編集後記を読むのにハマっています。

キッカケは「たまたま目にしたから」ですが、それは限られた文字数の中で、時事ネタや歴史、ウィットな風刺ネタを織り交ぜつつ、様々な話題へのアプローチがコンパクトに成立されていた、とても有意義な読み物だったんです。

それをキッカケに少しずつ他のページも読むようになると、テレビやネットニュースでは得られない情勢や事件の情報も手に入り、新聞紙を読むことが前向きな時間になりました。

「客先のアイスブレイクで使えるネタを探すために新聞を読まないと!」と無理に読み始めてすぐに飽きた営業マン時代の三谷くんでは考えられない変化です。

「読む」より「聴く」ことで情報や知識を得る人も多い現代において、自分にフィットしていたのは「紙媒体を読む」というアナログな手法でした。

多分これは、「限られた文字数で的確な情報や知識がわかりやすく伝えられている」ことが、自分のせっかちな性格に合っているんだと思います。ダラダラしたPV稼ぎのネット記事はもう読めません。

この辺りから、特別に意識していた訳ではないのですが、「自分に合っていたらそれで良いんじゃないか」と考えるようになりました。

2023年は積読が増えるばかりでした。なぜか意識の中で「読み始めた本は最初から最後まできっちり読み終えないといけない」と考えていたんです(たぶん自分自身が書き手だからでしょう)。

ですが、別に読みたい本の知りたい項目だけを並行して何冊も読んだって良いと考え始めてから、読書がとてもスムーズになりました。

仕事柄、Googleカレンダーでスケジュール管理をしていますが、多少二度手間でも卓上カレンダーに予定を書いている方が、先々の予定を整理しやすくなりました。

一般的に「身体に負担がかからない」とされている高さよりも少し高く机を調整したら、デスクワークの負担が軽くなったように思います。

思えば、汗っかきの僕にとって冬は「外で凍える」ことよりも「暖房で茹る」ことの方が脅威だったので、下着は夏物を着て、上着も脱げる羽織ものばかりを選んでいました

自分に合った動き方や環境を見つけて選ぶだけで、生活が随分と変わるものだと気付かされたのが、昨年の秋冬の出来事です。

お正月を移そう

そんなわけで、お正月だからってお正月らしい過ごし方を絶対にしないとダメってこともないかと思い、冒頭に書いたように「無理に振り返る」よりも「今頑張りたいこと」に力を注いでいました。

年が明けてから10日経った今ようやく、こうしてゆっくりとした時間を過ごしています。

僕の仕事の多くは「調整」なので、各担当者が休めるよう一人でバタバタと動く必要はありますが、取引先が円滑に年明け業務を開始できるように準備していれば、このタイミングに少し休むことができるんです。

つまるところ、納期さえ守って周りに迷惑をかけていなければ何をしてても良いわけですが、そこのコントロールがこれまではとても下手くそだったように思います。

マルチタスクは苦手だけど多動症の傾向がある自分にとっては、シングルタスクをブツ切りにして並行する(個人的にこれはマルチタスクではない)方が集中力とやる気を維持できるようで、その「やる気の矢印」を、手綱を握りながらも好きに走らせてみたいと今は感じています。

あったらいいなをやる気にする

別に誰にも迷惑かけていないのなら、やる気が起きないことはやらなくてもいい。というか無理やりするくらいなら、他にやりたいことをやった方が、一日の経験値や充実度としてはずっと良い。そんな「一日」を積み重ねていく。

フリーランスとして活動できている中で、会社や環境に縛られずリソースを割けるのだから、自分が納得いく形で仕事も活動も良い成果物を出していきたい。

そんなことを考えながら、この数週間は「やる気の矢印」を放し飼いしてみています。(とはいえ大草原に放すと本当に何してるかわからなくなりそうなので、そろそろ庭の区分わけくらいはしようと思っています)

これまでは「こうしなきゃいけない」「ああしなきゃいけない」という思いを強く持っていたし、今も最低限の責任能力として全て放棄したわけではないけど、「自由も責任も全部ひっくるめて良い形にしていきたい」という思いが芯に出てきたように感じています。やりたいことをやればいんじゃね?

僕は何か一つに秀でた人間ではないけど、集中力がなくて一人で右往左往する分なんとなく色んなことを触れたり知ってはいて、周りには秀でてる人間がいっぱいいるから、色んな人に助けてもらったり助けたりしながら、良いものをつくっていきたい。

昨年は「足るを知る」について想いを馳せていただけど、今は「あたい(私・値)にフィット」するかどうか。

「これで良くね??」から「これ良くね!?」になった感じ。

この辺りは感覚的な話ですね。ちょっともう書くの疲れてきました。

今日を愛する 平穏

なんやかんやと書きましたが、僕の根源的な原動力が「楽をするために努力をする」であることに変わりはありません。

そして、「楽」と「努力」の種類や解像度は、年(歳)を経るごとに変容しているように思います。

引き続き、日々を全うしながら、平穏な日々を過ごすための刺激的な日々を、今年も過ごせていけたら嬉しいです。

noteでは普段、コラムや記録、カメラ関連の話をしています。気に入っていただけたらぜひスキ・フォローをお願いします!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?