書き物のはなし

ここ3日ほど、note.comに書くために様々なことを書いては消して、消しては後悔しています。
普段書くものは仕事の伝達事項くらいなので伝わったらそれでいいのですが、ここに書いているものはそうではなくて、不要な部分を削ったり、漢字が多い部分をひらいたり、句読点に神経質になったり、下手くそなりに推敲したものを載せたいわけです。

そんな意識を持っていると不思議なもので、仕事で書くものの質も微妙に変化します。!や?が減ったり、より簡潔に伝える努力を無意識に行うようになります。そうやって努力すると文ってどんどん読みやすくできます。音読するとわかりやすいですが、リズムが良い文章は読んでいて楽ちんです。
それには句読点位置も関係しますが、単語の言い回しや漢字かひらがなか、という部分も影響してきます。

「昨日の夜は中々寝付けなくて、23時頃布団に入ったのに結局3時まで起きていた」

という文を調整して、

「昨夜は中々寝つけなくて、23時ごろ布団に入ったのに結局3時まで起きていた」

とすると、頭の中で音読するときのリズムが良くなる(気が)します。
少なくとも読むことのストレスは減らせるわけです。文学レベルになると文体そのものが個性になる(気がする)わけですが、素人がインターネットに公開するような文を読んでもらうにはストレスを減らす努力が必要な(気がする)のです。

私自身も昔からストレスなく読める文を書く鍛錬を積んできましたので、その面では少しは自負があるわけですが、実はそれ以外の鍛錬を何も実践してきませんでしたので、読みやすいが中身がなんもねぇすっからかんなものしか書けねぇという事実があります。
この事実は私を相当悩ませ、追い詰め、脅かしましたが、作家だってそうそう面白いことばっかり書いてないはずだと、身も蓋もない上に失礼千万で堕落した考えを採用することにしています。

なので今までに ”この小説は俺の思想を如実に表現” とか ”この文のメッセージ性たるや5秒後に映画化してマンガになって曲もできてオリコン1位になってカラオケの歌ってない時のヤツに映るかもしれん” とかそういう実感を得たことがないわけです。

なぜ面白い内容が浮かばないのかという点について奥さんの説は「バカだから」ということですが私自身はこの説に懐疑的です。何故なら私はバカではないからです。

でもやっぱりいつかは完結した小説を書きたいなって、やっぱり思います。

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