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ポーのオーギュスト・デュパンものの設定年を考えてみた話

 昔からフィクションの作品(の出来事)を年表に並べるのが趣味の一つになっていて、年表サイトまで作っています。この作中年代、明示されているのはいいものの、そうでないものは作中の描写から何とか捻り出すのですが――今日はポーのオーギュスト・デュパンもの三作の設定年について。

 『モルグ街の殺人』と『マリー・ロジェの謎』『盗まれた手紙』の三作に登場する世界初の名探偵オーギュスト・デュパン。このデュパン、作中では『モルグ街の殺人』の冒頭に「一八――年」とあるように、えらいアバウトにしか年代設定は描かれていません。
 デュパンくらいメジャーであれば、とっくの昔に定説はありそうですが(もしあれば喜んで援用させていただくのですが)、「作中の描写は、いずれもそのまま受け取るものとする」「作中で描かれる事物・事件は、史実のそれに対応したものであるとする」というルールの下、無い知恵を捻ってみました。

 さて、冒頭に触れたように『モルグ街の殺人』には年代が明示されていないのですが、それに続く『マリー・ロジェの謎』には、この事件はモルグ街の二年後ということが示されています。もっとも、こちらの作品にも明確な年代は書いていないのですが――マリー・ロジェが失踪したのは6月22日日曜日と明示されています。

 しめた! とばかりに6月22日が日曜日である年を調べてみると、成り立ちそうなのは1806, 1817, 1823, 1828, 1834, 1845……と結構な数なのですが、ここで作品の冒頭に、本作の内容は偶然アメリカで1841年に実際に起きたメアリー・ロジャース殺しとほとんど同じ内容ながら、それを先取りした内容になっている、という記述があります。
 これはまあフェイクで、もちろん実際の事件をモデルに書いたのですが、作中の描写をそのまま受け取るのでそれは無視。だとすれば1845年以降は対象外となります。

 さて、ここで登場人物を見ると、デュパンと語り手以外に三作に共通して登場する、G警視総監という人物がおります。この人物が実在と仮定すると、この時期に姓の頭文字が(名の方を略したりはしないと思うので)Gになるのは、1831年10月から1836年9月まで在任したHenri Gisquetのみ(ちなみにボードレールもこの人物がG警視総監ではと指摘しているとか)。
 ということは『マリー・ロジェの謎』は1834年、そして『モルグ街の殺人』は1832年ということになります。

 さて残る『盗まれた手紙』ですが、前二作よりも後の事件と語られること、そしてG警視総監が登場することから、1834年から1836年9月の間であることになります。これ以上の手掛かりは――手紙を盗んだ犯人が、D大臣と語られることでしょう。

 ここでまたこの人物が実在するとして、この時期に大臣を努めた頭文字Dの人物は以下の四名おります。
Antoine d'Argout(1836 年1 月18日-1836 年9 月6日)
Tanneguy Duchâtel(1834年4月4日- 11月10日、1834年11月18日- 1836年2月22日)
Charles Dupin(1834年11月11日-18日)
Guy-Victor Duperré(1834年11月18日-1836 年 9 月 6 日)

 ところでこのD大臣、物語終盤に、盗んだ手紙で一年半も影響力を行使していたという描写があります。そこで在任期間が(複数の内閣をまたいだとしても)一年半以上続いた人物は、DuchâtelとDuperré。どちらの場合でも、手紙が盗まれた時期は1834年になります(残念ながらデュパンが事件を解決した時期は、1835年と1836年、どちらもあり得るのですが……)

 実はこの案には一つ穴があって、作中ではD大臣は数学者として知られているという描写があるのですが、どちらもどうもこれに当てはまりません(特にDuperréはガチガチの軍人なので)。当てはまるのは幾何学の教授でもあったCharles Dupinですが、この人物は在任期間がたった一週間程度なのが残念です。(仮にこの人物であれば、デュパンvsデュパンとなったのですが……)

 何はともあれ、ここでの結論としては『モルグ街の殺人』は1832年、『マリー・ロジェの謎』が1834年、『盗まれた手紙』の発生が1834年なのですが――いずれにせよ、仮定で固めたド素人の都合の良い考えなので、より明白な答えがあれば、喜んで兜を脱ぎたいと思います。

 それにしても19世紀前半といえば日本では天保年間。デュパンが遠山の金さんや国定忠治、鼠小僧と同時代人だと思うと、洋の東西の遠さを思わないでもありません。


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