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多岐川恭『異郷の帆』 「この美しい地獄のような国」での殺人と逃避

 ミステリ、そして時代小説を数多く発表してきた多岐川恭の代表作の一つというべき、時代ミステリの名編であります。元禄時代、長崎の出島で起きたオランダ商館員殺し。そこに巻き込まれた小通詞の青年が見た、出島にまつわる数々の人間模様、そして事件の真相とは……
 元禄4年(1691)、長崎出島の小通詞(長である大通詞の補佐役)である浦恒助は、オランダ船の入港と積荷降ろしの最終日、無事に作業が終わったことを祝う宴席の後に、商館のヘトル(次席商館長)であるファン・ウェルフが、自室で殺されているのを発見することになります。
 胸を一突きされて殺されていたヘトル。しかし出島では、立ち入りの際に刃物は全て没収され、オランダ人の持つ刃物は存在しない状態。そして浦たち日本人の持つ刀にも、犯行に使われた形跡は存在しなかった――すなわち凶器なき殺人だったのであります。
 事件を独自に調べ始めるうち、ヘトルが、好色かつ守銭奴で商館の同僚たちからは嫌われていたことを知る浦。さらに彼は、同僚の富野佐吉や西山久兵衞、乙名の儀右衛門が養育するオランダ人と遊女の娘・お幸の姿が、犯行時間近くにヘトルの部屋の近くで目撃されていたことをも知ることになります。
 露悪的で転び伴天連のポルトガル人という全く境遇の異なる相手ながら何故か憎めない西山や、密かに想いを寄せる美しいお幸が事件に関わっていたかもしれないことに驚きと疑念を抱く浦。
 ところがそこに新たな殺人が発生、またしても二人がその現場に関わっていたのです。そんな中でもお幸への想いを募らせていく浦ですが、彼にも何者かの魔手が迫り……
 このブログでも幾度か触れましたが、長崎の出島という場所は、江戸時代にほぼ唯一海外に開かれていた門という性格から、様々なフィクションの題材となってきました。その出島を舞台とする本作は、まず何よりも、出島を巨大な密室として捉えてみせたことに、ミステリとしての面白さがあることは間違いありません。
 出入りが制限されていることはもちろんとして、凶器となる刃物の持ち込みも困難。そんな状況下で如何にして殺人を行い、そして凶器を消したのか……
 実のところトリック自体はそこまで珍しいものではないかもしれません。しかし出島という唯一無二の舞台がカムフラージュとなって、意外性を生み出しているのが巧みなところでしょう。
(もっとも本作の場合、その真犯人がさらに意外で仰天させられたのですが……)
 しかし本作の魅力は、そのミステリ性だけではありません。本作を読んでまず印象に残るのは、登場する人々の陰影に富んだ人物像ではないでしょうか。
 海を越えてからやって来て、ほぼ出島の中のみで生きるオランダ人。そのオランダ人のいわば現地妻として侍る遊女。彼らの間に生まれ、日本に残された娘。転んで日本名を与えられ、日本人妻を娶った元伴天連。彼ら彼女たちの存在は、文字にしてみれば、特に時代小説ファンにはお馴染みかもしれません。
 しかしそれが本作においてそれぞれの名を与えられ、そしてそれぞれの長崎での描かれた時、そこに存在するのは、紛れもなくこの時代、この場所で生きる人間の姿――小さな喜びと大きな屈託を抱え、それでも生きていかなければならない、生身の人間の姿なのであります。 この点こそ、本作が優れた時代小説として成立している所以といってよいでしょう。
 そして、主人公たる浦のキャラクターもまた、誰よりも鮮烈に印象に残ります。代々の小通詞の役を継ぎ、周囲がある者はオランダ人から学問を学び、またある者はその立場を利用して利殖に励む中、そのどちらにも興味を示さず、それでいて今の状況に鬱屈したものを抱く……
 そんな彼の姿は、身勝手ではあるかもしれませんが、しかしそんな漠然とした閉塞感――今の環境に不満を持ちながらも、しかし自分にそれを本質的に変える力がないことに気付いてしまった時に覚える感情は、誰もが(もちろん私も)覚えがあるのではないでしょうか。そして作中においても、その想いを抱くのは、決して浦のみではないのです。
 ミステリとして、時代小説としてそれぞれに優れたものを持ちつつ、さらにそれを超えた普遍性を持つ――それは、この主人公をはじめとする人物造形にこそよるものでしょう。
 物語の終盤、ある人物の口から語られる「この美しい地獄のような国」という言葉。実にこの物語で描かれる悲劇・惨劇を生み出した根源にあるものから、逃れられる者はいるのか――本作が描くものは、発表から約60年を経ても、なお古びることはありません。


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