鳴神響一『天の女王』 サムライたちが欧州を駆ける理由!

 デビュー以来、スケールの大きな時代小説を次々と発表し、そしてスペインとフラメンコをこよなく愛する作者が、その持てる力を全て注ぎ込んだかのような快作が本作――17世紀前半のスペインを舞台に、日本のサムライたちが、自由と愛のためにその刃をふるう、奇想天外かつ痛快な冒険活劇です。

 時は1623年、舞台はフェリペ4世の治世下のスペイン(エスパーニャ)。そして主人公は日本人武士・小寺外記と瀧野嘉兵衛の二人――というと、何故この時代のスペインに日本のサムライがいるのかと不思議に思う方も多いでしょう。この二人が、実在の人物とくればなおさらであります。
 実はこの二人は、あの支倉常長の慶長遣欧使節団の一員。その中でも日本に帰国せず、欧州に残留したと言われている人物であります。

 しかしその使節団もこの物語から10年近くも前のこと――希望に胸を膨らませて欧州に残った二人は、それぞれその希望に裏切られ、今は金と引き替えにその刀を振るう、いわば裏稼業で口を糊する毎日。
 そんな中、とある依頼で要人の命を救い、王と謁見したことがきっかけで、二人はイザベル王妃から極秘の使命を託されることになります。

 ルイ13世の妹であり、フランスからスペインに嫁いだ王妃。しかし彼女は、ある重大な過去の秘密が隠された宝石箱をバチカンの司教に奪われ、脅しを受けていたのであります。
 その秘密が明るみに出れば、フランスとスペインの間で戦端が開かれかねぬ宝物を奪還すべく、外記と嘉兵衛、そして王妃の侍女ルシアは、海賊が横行する海を越え、バチカンを目指すことになります。

 一方、ルシアの兄であり、後世に大画家として名を残すことになるベラスケスは、思わぬことから、マドリードの夜に浮き名を流す歌姫・タティアナと、フェリペ王との仲立ちをする羽目になります。
 さらに王の命で、彼はタティアナをモデルに「無原罪の御宿り」の聖母マリア像を描くことになるのですが――その彼に近づくのは苛烈で知られる異端審問所の長官。王と異端審問所の板挟みになり、ベラスケスは苦しむことになります。

 そして一見関係の内容に見えた外記・嘉兵衛たちの冒険とベラスケスの受難は意外な形で結びつき、やがて明らかになるのは、戦争を望み、王をその座から追おうという者たちの邪悪な陰謀。
 そしてタティアナ――実はかつて嘉兵衛と愛し合った彼女が陰謀の生贄とされることを知り、サムライと芸術家たちは、一世一代の大勝負を挑むことに……


 これまで伝奇色が濃厚な作品を数多く発表してきた作者ですが、しかし本作は伝奇は伝奇でも、西洋の伝奇小説――アレクサンドル・デュマの作品を彷彿とさせるような題材と展開の、胸躍る冒険活劇であります。
 特に中盤、外記と嘉兵衛、ルシアが王妃の秘密奪還のために奮闘する展開は、かの『三銃士』の、王妃の首飾りのくだりを連想させますが――もちろんここには本作ならではの、作者ならではの、魅力と趣向が存分に用意されているのです。

 その最たるものが、主人公コンビの存在にあることは言うまでもありません。
 女好きで陽気な外記と、寡黙で金に目がない嘉兵衛――どちらも一癖も二癖もある曲者ながら、それぞれ武術は達人クラスの二人。そんなコンビが西洋の剣士や悪漢を相手に、地中海海上やバチカンの地下迷宮等、めまぐるしく変わる舞台の中で活躍を繰り広げるのですから、これはもう、盛り上がらないわけがありません。

 しかし本作は、ニッポン男児が海外で活躍してバンザイ、という趣向の作品ではありません。むしろそんな物語とは(そして『三銃士』などの作品とも)対極にある精神性を抱えた物語であるとも言えます。
 そしてその精神性をそれを生み出すものは、本作の二人の主人公が経験してきたもの、背負ってきたものに由来します。

 遣欧使節という立場でバチカンをはじめとする欧州を訪れた二人。支倉常長の秘書役であった外記、ある事情から日本を捨てバチカンを目指した嘉兵衛――それぞれにバチカンに、キリスト教に希望を抱いてきた彼らは、その後の経験から深い幻滅を抱き、今は剣が頼りの無頼の身の上というのは、先に述べたとおりであります。

 無頼――そう、彼らはまさしく頼るもの、仕えるもの無き身の上。
 日本という故国を捨て、この時代の欧州の二大権力である王と教会のどちらに仕えるわけでもない二人の戦う理由が、洋の東西を問わず武士の根幹にあるもの――忠誠心、あるいは名誉などではありえないのであります。


 それでは二人が戦う理由は、単に金のため、身過ぎ世過ぎのためだけにすぎないのでしょうか?
 もちろんその答えは否、であります。二人が戦う理由は、もっと大きく、根源的なもの――たとえば「義」、たとえば「自由」、たとえば「愛」。そんな人間の善き心に根ざしたものなのですから。

 それは一見、ひどく陳腐な絵空事に見えるかもしれません。しかし本作に登場する敵と対峙する時、彼らの戦う理由は、むしろひどく身近なものとしてすら、感じられるのです。

 己の利益を貪り、己が権力を手にする――そのために戦争を招く。そのために邪魔となる王族をその座から追う。そのために人の秘密を暴き立て、強請りたてる。
 あるいは、単なる自分の好悪を絶対的な善悪の基準にすり替え、人間の自由な魂の発露である芸術を型に押し込め、あまつさえそれを以て人を害さんとする……

 本作で二人のサムライが、そしてルシアやベラスケスやタティアナが対峙するのは、そんな、いつの時代にも普遍的な、いや今この時も世界各地で吹き出している人間社会の悪しき側面なのであります。
 だからこそ彼らの冒険には、絵空事とは思えない重みがある。だからこそ彼らの冒険を応援したくなる。本作はそんな物語なのです。


 その本作のプロローグとエピローグは、現代を舞台とした、ちょっとしたサスペンスとなっています。
 ここでは、本編の物語の由来が語られることになるのですが――しかしそれだけはなく、ここで描かれるものは、本編における人間性の輝かしい勝利が決して一過性のものではなく、連綿と受け継がれてきたことを同時に語るものでもあります。

  そして、そんなプロローグとエピローグを含め、本作が与えてくれるものは、スケールの大きな伝奇活劇の楽しさはもちろんのこと、それと同時に、「勇気」「希望」「元気」――いま我々が決して忘れてはならないものでしょう。
 物語の枠を超え、人が人として生きる上で大切なものを示してくれる――そんな本作を、現時点での作者の最高傑作であると、自信を持って言いたいと思います。


(注)この記事の元原稿を書いたのは、初版が刊行された2017年のことですが、本年(2020年)に『エスパーニャのサムライ 天の女王』(双葉文庫)として刊行さることとなったのは欣快の至りであります。本作で描かれたもの、この記事に記したものは、今なお全く変わらない――いや、よりその意味を強くしていると感じられるのですから……


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