見えない縁で人は繋がっているPart1

こんにちは、ミサンガムーンです。

40年余り生きていると、人生の中で偶然とは言い切れないような出来事や人との出会い、何かに導かれているとしか思えないような事象に何度か巡り合っていて、そういう時はいつも、その背景に、この世の理屈だけでは測り得ない存在の大きな意志を感じています。

その中でも、とても印象的だった出来事を一つ、お話ししたいと思います。

私の父は戦後に東京で生まれ、東京で育ちましたが、父方の祖父は四国のとある県の出身で、地元にある船の学校を卒業後、太平洋戦争では海軍に入りました。戦争中は乗っていた軍艦が敵国に3回も撃沈され、その度に外洋を夜通し泳ぎ切り、岸まで辿り着き生き延びたという逸話は、子供の頃父から聞きました。その際は、サメがうようよしているので食われないために、つけていたふんどしをほどいて腰に巻き後ろに長くたなびかせ、体を大きくみせて泳いだとか(サメは自分より体が大きいものを襲わないそうです)。

その後祖父は、当時ホーチミンで従軍看護婦をしていた祖母と船の上で出会い、そのまま船上で結婚。敗戦後は日本に引き上げてきて、その後父と兄弟達が生まれました。

終戦後、祖父はとある水産メーカーの遠洋漁業の船長をしており、年に半分以上は船の上で家におらず、子供の頃、父はほとんど母子家庭の環境で育ったそうです。たまに帰ってきても、昔気質の祖父は着物を着て黙って新聞を読みながら、自分で豆を挽いたコーヒーをじっくり飲むだけで、余り遊び相手にはなってくれなかったとか。

そんな祖父は、父がまだ中学生の時、船に乗ったまま帰らぬ人となりました。

死因については詳細は不明のままですが、どうも夜の甲板から海に落ちてしまったようで、明るくなった時には姿がなく、従って遺体も上がらなかったそうです。

父はそのようにして中学生にして突然父親を亡くし、長男だったので葬儀では喪主になりました。元々外科の看護師だった祖母は、残された3人の子供を養うために再び働き始め、父は本当の母子家庭で育つことになりました。

祖父は父が若い時に死んでいるわけですから、当然私が生まれた時にはこの世におらず、私にとっては母方の祖父母・父方の祖母の3人が身近にいるおじいちゃんおばあちゃんで、父方の祖父は家に飾られている若かりし頃の割と精悍な表情をした写真を見るのみ、というご縁。

父も祖父については余り多くの思い出も無いようで、私に聞かせてくれる話も限定的だったので、私の中では「ふーんそういう人だったんだ」という程度の印象しかありませんでした。

ところが、私がまだ日本にいた頃、7−8年前のある日、びっくりするような事が起きたのです。

当時、今も勤める会社の東京本社にいた私は、同僚の男性の一人から休憩時間の何気ない雑談の中で、夏休みに家族で四国のとある島に行くんだという話を聞きました。なんでも、広島の奥様のご両親が持っている別荘のような空き家のような家が四国のとある島にあり、今は誰も使っていないので、そこに行ってみようと思っていると。本当に小さな島で特にやることもないが、子供もまだ小さいのでそこでのんびり夏休みを過ごすことにした、とのことでした。

その島の名前を聞くと、なんとそれは私の本籍地となっている島でした。というのも、私自身は東京生まれの神奈川育ちで、実は四国には旅行ですら一度も行った事がないのですが、同じく東京生まれの父の本籍が、祖父の出身地である四国の小さな島のままになっており、その縁で私の本籍もその行ったこともない島になっていたのです。

「えーびっくり、その島実は私の本籍地なんですよ!行ったこともないんですけどね。。どんな所だったか帰ってきたら教えて下さいねー。」

と同僚には伝えておきました。

そして数週間後。夏休み明けの同僚男性に職場で会い、

「あ、●●島どうでしたか?楽しかったですか?」

と聞くと、やや神妙な顔で

「。。。ちょっといい?」と言われ、別室に呼ばれました。

「どうしたんですか?」と不思議に思っていると

「あのさ、これ。渡して欲しいって言われて。。」

と、突然おもむろに手渡された白木の箱。その中身は。。。

続きはPart 2に続きます!

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