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イメージできることは必ず叶う(受験編)Part1

こんにちは、ミサンガムーンです。

私のこれまでの人生の中で「こうなるといいな」と思ったことの中には、もちろん順調に行ったこともそうでなかったこともあり、

厳密にひとつひとつの願望がどのようにして叶ったか、なぜ叶わなかったのかを整理できているわけではないのですが。

「まさにそこにあるかのように、叶った時の光景や感情がありありと思い描けること」を、「毎日繰り返し何度も何度もずっと願い続ける」とそれは実現することが多い、とは言えるだろうと思っています。

これはいわゆる、今ではほとんどの人が聞いたことくらいはある「引き寄せの法則」という話なのですが、実際に、この法則が作用することを人生の節目節目で願望達成した時に感じてきて、ある一つのパターン、その具体的方法が自分なりに見えているように思います。(ただそのステップは人によって多少異なると思うので、カスタマイズは必要)

具体的にどのようにして、引き寄せの法則で願望実現していくのかについてはおいおい少しずつ書いていきたいと思うのですが、私が最初に明確にその威力を驚きと感動をもって体感したのは、今はもう数十年前のことですが、大学受験の時でした。

当時はいわゆる安室奈美恵全盛期のコギャル文化真っ盛り、高校生が世の中でとても目立っていた刺激的な時代で、校則の厳しい中学から自由な校風の高校へ進学した私は、身も心もすっかりそっち方面に花開き、絵に描いたような派手で堕落気味の学生生活を送っていました。勉強は一切せず、授業中はサボって寝ているか、髪の毛やネイルの手入れしているか、クラスメートの彼氏とイチャイチャしているか、抜け出してタバコを一服。その日の授業もそこそこに放課後は派手な格好で渋谷や地元の街に繰り出し、彼氏や友達と遊んでばかり。

そんな状態だったので成績は当然に下の下、350人くらいいた学年ではいつも下から数えた方が早いような成績で、いわゆるビリギャルという感じの生徒でした。私が行っていた高校は当時、そこまで頭のレベルが高くはないまあまあの中堅レベルの私立という感じで、国立大や私立のトップ校に行くのは学年の中で上からせいぜい20−30人という感じだったように思います。

下から数えた方が早い劣等生の私は当然選抜クラスでもなく、高校2年の時に始めて受けた全国模試では「受けたら誰でも受かる」と言われていたとある短大でもE判定、両親や先生からは、大学に行くことは難しそうだから何らか手に職をつけてはどうかと勧められていました。

私自身当時全く勉強や進学にやる気もなく、高校卒業後の進路についてはほとんど何も考えていないという状態で漫然とダラダラと高校3年の夏くらいまで過ごしていました。

ところがある日、自分には縁があるとも思えないとある私立トップ校の大学のキャンパスツアーにふと何となく参加すると、この学校に行きたい、何としてもこの学校で大学生活を送りたいという強烈な思いが湧いてきたのです。

その後の人生でも何度かあったことなのですが、現実を見れば到底叶うとは思えないけれど、でも何か理屈では語れない、心の奥底から湧き上がってくる抑えきれない思いとの運命的な出会いを果たした時、それはいつも似たような感覚である時が多く、なんだかその景色がキラキラと光り輝いているような、時間が止まって向こうから呼びかけてくるような、そんな感じがしたのを今でも記憶しています。

とにかくすっかりその学校に行きたいという気持ちに取り憑かれてしまった私は、勢い込んで両親や学校の先生にそのことを打ち明けたのですが。

返ってきた反応は、「今の成績でこれからそこに受かる事はあり得ない。受験料の無駄」「身の程知らずにもほどがある。絶対に無理」というものでした。特に私は学校では全く勉強しないというふざけた態度と、惨憺たる成績を貫いていたので、学校の先生にはそう言われるのもごもっともでした。

途方に暮れた私は、誰か1人でもいいから自分のこの無謀な夢を応援してくれる大人に出会いたくて、当時断続的に夏期講習などで通っていた、大学進学塾のチューターの先生にその話を打ち明けました。

するとその先生は、私の話を聞くや否や、100%の確信を持ったトーンで言ってくれたのです。「大丈夫、君なら絶対できるよ、誰がなんと言っても僕だけは信じるよ。今からでも本気を出せば間に合わないなんてことは絶対にない。第一希望に絶対合格しよう!」と。

後から思い返せば、この人の言葉は単に進学塾のチューターとして学生に言う当然のセリフだった(少しでも多くの学生に受かってもらうのが仕事なのに、君には無理だよとは言わないでしょう)とも思われますが、この時の私には神の啓示のように聞こえました。

そこから約半年間、偏差値で言えば実に30近くも上にある第一希望の大学に入るための猛勉強を始めたのですが、生来とにかく飽きっぽく同じことをコツコツ長続きできない自分の性分をよく分かっていた私は、自分には浪人生活は絶対に無理だ、1年も厳しい受験勉強生活が継続できるわけない、だから受かるとしたら現役合格しかないんだと心に決め、半年という残り時間にかけることにしました。

また、たとえ希望校ではなくても、本命の受験までにより多くの学校に受かっていた方が自分の自信や余裕が生まれ、最終的に目指しているトップ校にも手が届くかもしれないと思った私は、親には受験料の負担をかけて申し訳ないと思いつつも、受験日の早い偏差値の低い大学、学部から段階的に、7−8ヶ所を受験する形としました。そして1つ受けたらその日にわからなかった問題を復習して完全に理解し、また次を受ける。その結果、前に受験した問題が次で出るというような幸運もあり、結果的に受験した所はすべて合格。

親も先生もあまりの順調ぶりに驚き、自分自身も勢いに乗ってこのまま第一希望のトップ校まで行ける、そんな風に期待し、すっかりその気になって臨んだ第一希望校受験当日。

私立のみの受験なので3教科に絞って勉強してきていましたが、元々国語と文章を書くことだけは自然的に割と得意であったことから、第一希望校は英語・国語・小論文のみで受けられる学部であればなんとか届くかもしれないということで、その学部を本命にしていました。

他の学部も申し込みたいと学校の先生に相談しましたが、「お前の今のレベルではそれ以外の科目が入ってきたらまずトップ校には受からない」と言われ、一応の記念受験でもう1つ別の学部を申込みはしたものの、本命はあくまで英語・国語・小論文で受けられる学部でした。

ところが当日。まさかの時間配分ミスで、渾身の思いで下書きした小論文の清書が間に合わず、文章の途中で尻切れトンボとなったまま試験が終了。

当然に、合格発表に私の名前はありませんでした。

【その後どうなったのか。。は次回に続きます!】

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