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わたしが介護話をする理由_01

こんばんは、三田です。
今日は介護についてだらだらと書きます。

とりあえず・・・脱線しすぎないように
テーマを決めておきます!!
ズバリ、『介護のイメージチェンジ』です。


介護に対する世間のイメージって、
あまり・・・良いものではないですよね。

職業に対するイメージ(3Kとか)であったり、
介護=老化のようなマイナスイメージであったり
「積極的に自分ごととして考え(たく)ない」
と、思います。わたしもそうでした。

そんなわたしは
高校生の時に家族の介護が始まり、
当たり前ですが突然のことで右も左も分からず、
とりあえず体力と気力で踏ん張りましたが・・・
若かったからできたことだなと改めて思います。

それから、
「なにが分からないのか分からない・・・」
というような状態だったので、
もういっそのこと勉強して資格を取る!!
と決め、介護福祉士の資格を取りました。


資格取得の踏ん切りがついたのは、
病院でお世話になった職員の方々のお陰です。
(奨学金を借りることに結構悩みました)

初めての介護で迷走しているわたしに対しても
丁寧に説明してくださり、その真摯な対応が
本当に本当に涙が出るほど心強かったです。

そして、今まで
このように尊い仕事をしている人たちのことを
全く知ることなく生活していたことが、
不思議で不思議でたまりませんでした。

だって、わたしが物心ついた頃から日本は、
少子高齢化って言われていたんですよ??
どうして介護について全くと言っていいほどに
学ぶ機会がなかったのか・・・??
(小学校の授業で学ぶ地域はあるのでしょうか⁇)


話が脱線しましたが・・・
このように、わたしは尊敬の念を抱き、
資格を取り、実際に現場へ出て働くようになり、
世間のイメージというものを実感しました。

まあ、イメージ通り
大変なこと(きついこと)は無論ありますが・・・
あまりにもマイナスなイメージばかりが
世間に浸透していると痛感しました。

それはおそらく、
介護=老化=目を背けたい現実・将来
というような感情の部分が
大きな要因なのではないでしょうか・・・

その気持ちは分からなくはないです。
でも実際に現場を知れば知るほどに思うのは、
「その”いつか”は明日かもしれない
ということです。


しかしそれは、
「明日、家族が倒れるかもしれない」
というよりは、

明日、自分が倒れるかもしれない

という意味合いでの「明日かもしれない」です。


病気かもしれないし、事故かもしれないし、
もうこればかりは運なのか・・・??
と、わたしは思っていますが・・・

そんな「明日かもしれない」から、
目を背けたい気持ちは分かるけれど!!
ちょっとでも良いので介護について
自分ごととして考える機会を作ってほしい
と、伝えたいです。


介護とは、非日常的なものではなく、
もっと身近にある感覚で考えられると思います。

例えば、風邪を引いた時に
どのような行動をはじめに行いますか?
おそらく無意識なルーティンで
風邪の対処をしているのではないでしょうか?

そのような感覚で、
もし介護が必要な状態になったら、どうする?
というようにシミュレーションしてみる。
これだけでも意識が変わると思います!!

想像できない、分からないことが出てきたら、
調べてみたり経験者に聞いてみたりなど
行動も変化していくのではないでしょうか?


たらればを考えずに楽しく生きる!!
という考えを否定する気持ちは全くありません!

ただ、わたしは本人も含め家族が
全くもってなんの心積りなく始まった介護に
翻弄されまくり地獄のような日々だったので、
「ほんの少しでも本人の希望を
元気なうちに聞いておけばよかった・・・」
と未だかつてないほどに後悔しました。


そして、
「若かったとしても、自分の希望を
周りの人に伝えておくことはした方が良い」
ということも考えるようになりました。

それは、迷惑をかけたくない。ではなく、
周りにいる大切な人たちの人生も自分の人生も
まるっと大事にしたいからです!!


もう数年前に天国へ旅立ちましたが、
地獄のような日々だっただなんて思うことですら
亡くなった後に罪悪感を抱いてしまったほどには
わたしの中でズシリとわだかまりが残りました。

今でも思い出して涙が出る時もありますが、
きっとそんな気持ちになることは望んでいないと
そう思えるようになってからは、
少しずつ前向きに考えられるようになりました!

明日かもしれない」を、
自分と、周りの大切な人たちの人生のために
ちょっとでも良いので考えてみませんか!!!


次回も介護話をだらだらと書く予定です。三田

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