「〜べき」か「〜たい」か

漫画『ゾンビになるまでにしたい100のこと』を読んでいると、何をすべきで考えるのではなく、何をしたいかで考えるという表現が出てきて、非常に感銘を受けた。
私は幼い頃に親から「周りに迷惑をかけないように」と世間体を気にすることを教育されてきた。その結果、何をしたいではなく、何をすべきかで考える人になっていた。最近では、自分で考えることができるようになり、したいことを優先できるようになってきた。なぜしたいを優先した方が良いと思ったか。そこに至ったロジックを説明する。
まず、何をすべきかを優先するとどうなるのか?
そのすべきことをしていると、シンプルに楽しくないだろう。もちろん、「宿題をして先生に怒られなかった」などのメリットはある。しかし、「先生に怒られないためにしてる宿題」をしている最中は楽しい訳がないだろう。そうやってした勉強は全く自分の身にならない。
一方したいことをした場合はどうだろうか?「宿題よりもゲームしたいぜ」と思い、ゲームをする。すると次の日先生に叱られるというデメリットが発生する。しかし、ゲームをしている時、楽しいことは事実だ。そして、何年か経っても、先生に怒られたことは忘れてしまうが、そのゲームの攻略法や達成感は忘れていないはずだ。
未来や現在の「感情」を考えるとしたいことを優先すべきだと私は思う。
こういった意見を言うと、「したいことが人を傷つけることやった場合どうするんだ」という反論がある。たしかにそういう人もいるかもしれないが、それはむしろすべきことを優先していたから起こるしたいことではないかと思う。世間体を気にするあまり、良くない欲望が生まれてしまう。まともな人格であれば、そもそも人が傷つくのを見て、嬉しいと思わない。むしろ助けて感謝されたいと思うだろう。
したいことを優先することがわがままで他人に迷惑をかけると思いがちだが、それは浮かべるしたいことが間違っているだけであり、すべきことを優先する論理にはならない。
なので、人はし「たい」ことをする「べき」だと『ゾン100』を読んで心から思った。

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