七十二候 楓蔦黄 (もみじつたきばむ)
七十二候 楓蔦黄
(もみじつたきばむ)
11/2~5日間です
今回の七十二候は
楓蔦黄 (もみじつたきばむ)ですが
もともと実は「紅」の方の
紅葉だったと言われます
実際、日本最初の和暦・貞享暦では
「蔦楓紅葉(つたもみじこうようす)」
それが江戸時代に宝暦暦になって
楓蔦黄 (もみじつたきばむ)に
変わります
暦が念頭においている樹木も
どうやら種類が違うようで
春木煥光の「鳥獣虫魚草木略解」によると
宝暦暦以降の七十二候に登場するこの楓は
和産ではないと書かれています
実はこの「楓」は
中国大陸から輸入されて生育するようになった
まっすぐ直立して大木になり
秋になると黄葉する樹木のことで
学名ではトウカエデ(唐楓)
享保9年に清国から幕府に寄贈されたものです
秋になるとまず濃い黄色に色づき
次第にオレンジへと変化するのが特徴
逆に、貞享暦の方が念頭においているのは
モミジバフウ(紅葉葉楓)のこと
五つに裂けた手のひらのような葉に
色づくと鮮やかな赤や紫や藍
オレンジなどが混在する
豊かな朽ち方を見せるのが特徴
実はこの裏には壮大な
歴史的政治闘争の影があります
もともと旧暦としては
出来が非常に良かった貞享暦が
江戸時代を境に宝暦暦に変わったわけですが
このときの編纂者・土御門泰邦が
この七十二候をあえて「黄」に変更しました
元々宝暦暦は
貞享暦が参考としている
清朝の暦法(時憲暦)が
イエズス会の宣教師が伝えた技法を
採用していることを鑑み
時の将軍・徳川吉宗が日本から
キリスト教色を排除したいがために
改暦が進んだ結果、誕生したものです
ところが、吉宗は急死してしまい
その頃幕府の天文方に政治力がなかったため
朝廷の陰陽頭・土御門泰邦に主導権を
奪われます
土御門は旧朝廷勢力の陰陽師
当時の朝廷は政治的には日陰の存在で
象徴として奉られてはいても
実権としては外様
つまり楓蔦黄 (もみじつたきばむ)の
紅➡黄への変遷は、自分たちの政治的権力を
取り戻したい旧勢力の怨念がこもった
曰くつきの七十二候なのです
普段なんとなく目にする
黄色のトウカエデと紅色のモミジバフウ
あの二本の樹の裏側に
時の政権を巡って
熾烈な戦いがあったのかと思うと
なんだか奇妙な感覚になりませんか 笑