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プロティアンの原体験


第14号(2021年8月4日)
ダンディープロティアンこと三田さんからバトンを引き継ぎました美鈴です。
自分のアイデンティティが鷹野(旧姓)にも笠原(戸籍上の姓)にもある時点で、だいぶアダプタビリティは高いと自負しています。
折しも幻となりかけた東京オリンピックパラリンピック開催期間中。
スポーツの中にあるプロティアンを私目線で綴らせてください。

〜*〜*〜*
アスリートの姿に心が動くのはなぜだろう。
若かりし頃、あんなにも過酷なスポーツに没頭した自分がいたのはなぜだろう。
 
オリンピックを見ながら、ふと思いを馳せる。
 
アスリートが生身の身体で表現する限界への挑戦の姿は、プロティアンを可視化していると思う。
スポーツに没頭していたあの頃は、
自分もプロティアンを体現していたと納得する。
 
恐らく、誰もが自らの中にプロティアンを体験し、その感覚をもっていると思う。
 
できないことに葛藤しながらも無我夢中でトレーニングを重ね楽しんでいたフロー体験。
高みを目指すチャレンジは、自らコンフォートゾーンを抜け出すこと。
仲間と一緒にそのチャレンジがただただ楽しいと思えた。
 
やらされのスポーツは必ず燃え尽きる。
 
オリンピックのような高尚な舞台を見ていると
アスリートが神のように見えて、手の届かぬ存在に感じるけれど、
実は私たち一人ひとりがアスリートなんだと思う。
 
今はスポーツの仕事をする私。
私の職業の原体験、ファーストキャリアは、医療の現場にある。
躍動感あふれる身体とは対照的に、そこには静寂に向かう身体があった。
物理的なダイナミックさはないけれど、
人生という終わりを意識した人間のピークパフォーマンスは美しさを失わない。
 
それを目の当たりにした時、私にとってはスポーツの舞台で戦う選手も病を患って戦う患者さんも同じアスリートに見えるようになった。
 
空前絶後の東京大会は、歴史にどう記録されるのか。
自分史にはどう記録しようか。
 
一人一人の中にあるプロティアンが、
「多様性と調和」を実現するエネルギーであってほしいと思うし、
その応援者ではなく、自らプレイするアスリートでありたい。


 〜*〜*〜*
8月3日。我が子の誕生日の夜にこれを書いています。
東京2020の招致が決定したのは、娘が生まれた2013年の夏。
スポーツがプロティアンを育む身体文化として発展することを祈りながら、
今宵もアスリートの活躍と我が子のささやかな成長に心躍る夜でした。

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次は、
仕事と生活の投合。
プロティアンと出会ってキャリア形成そのものを楽しめるようになった益子奈々さんにバトンタッチします!

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