規格外は、おいしいか
フードロスと解決
昨今SDGsが叫ばれて久しい世の中、フードロスも同じやり玉に上がりがちである。
フードロスとはいえ、ロスになる場面はそれなりにあるわけで。
畑での規格外品・市場で捌ききれない荷物・業務用での傷モノなどのロス・そしてスーパーなど流通のさなかのロス・家庭でのロス。
端的に言うと、私が思う解決策はこうだ。
ここでは一旦異論は認めない。
①規格外は技術を上げてなんとか減らそう
(生産者の頑張り)
②頑張って需要を増やして出荷しただけ売ろう
(流通者の頑張り)
③買ったら責任もって食べよう
(消費者の頑張り)
もう、めちゃくちゃシンプルにこれだ。
それぞれの役割を全うするのみだ。
それがなんだか、規格外品を上手く使って…っていう話になると変なことになる。
言い尽くされた事だけれど、
規格外品が勿体ないとか安く売り出してしまうと、本当に価値のある規格品は売れなくなる。
そうすれば、デフレ化して自分たちの首を締めることになりかねない。
規格外品でやる必要、ある?
規格外品だけれども、上手く使ってソースにとかジュースにとかもあるが、わたしにとってはこれも何だか微妙に思える。
まず、規格外品は①形が規格に満たないのでとにかく皮むきや下処理に手間がかかる。そのため、人件費が高づく。
だったらそれ、規格品でやればよくない?となるわけで。
そしてもうひとつ、②美味しくないことが多い。
もちろんこれは全てではない。
規格外品やロス品には味がいいもの、悪いものがある。
これはその品目や特性にもよる。
流通過程で凹んでスーパーに並ばなかった子や不揃いだった子たちは品目によってはもうその瞬間から劣化が始まる。
いくらジュースにしても、ほかの加工品で使えるっていっても、「え、それ規格外を生で食べてみて本当にそう思うんか?」と声を大にして言いたい。
そこだけ切れば普通なんです、という人にも今一度問いたい。
調理で味は少しはごまかせるかもしれない、だけどやっぱりその品目が持つベストには程遠いのだ。
そんなかたちで食べた作物はやっぱり最高にはなり得ないのだ。
感動する食には、なれないのだ。
だったらやっぱり規格品、ほんとに美味しいものでやって、感動を元にさっきの「需要を増やす」という解決策に向かった方がよくないか。
もちろん、そんなことに目くじらたてずこれでいいだろう、ということもできる。
だけれども、それが食に携わるものの誠意だとはわたしには思えないわけで。
非常にもやっとする、分かり合えない要素のひとつである。
そういえば、愛媛のみかんジュースはよく売れる。
気に入ったジュースを県外で取り扱ってみたが高くてもよく売れるのだ。
なんだかんだ言っても、美味しいものがわかる人ってやっぱり沢山いるんじゃん!と感動した。
だからわたしは、少なくともフルーツ屋に最高じゃないものが存在することをやっぱり認めたくないのだ。
売らないといけない、覚悟
そんなことを、しっかり高値で買ったぶどうをソースにして肉を調理し、高い原価の金持ちの遊びと罵られながらも、今日もわたしは思う。
あー、本当にいいものを使った本当の美味しさに明日も出会いたいな。
本当にいいものを作るのは並大抵のことではない。
正規品はまあまあいい値段する。
そして小ロットでは決して扱えないものも多い。
だからそういう理念のある人ほど、売り切れにできる「売る力」を持っていないとだめなのだ。
最高の食材をちゃんと売りさばける人になりたいや。
そうしてわたしは今日も、自分を苦しめ、焦り悶えるのである。笑
もちろん美味しい規格外もあるよ。
そんな子たちは美味しいうちに、食べてしまおうね。
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