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山田太一 トリビュート #2 ~ 「車輪の一歩」をともに歩んで

 先月逝去された脚本家、山田太一さんの偉業を追悼して、代表作を振り返ります。
 
 今回取り上げるのは、NHKの「土曜ドラマ・山田太一シリーズ」として放映された「男たちの旅路」(1976年から1982年)の最終話を飾る、第4部第3話「車輪の一歩」(1979年11月24日放送)である。このシリーズだけではなく、山田さんの全作品の中で最も有名なドラマと言ってもよい。山田さんも自身の脚本で、一、二を争う思い入れのある作品として挙げている。にもかかわらずこの作品は、不幸なことに、あとで述べるような事情で地上波はおろか、動画配信でも観ることができないのだ。仕方がないので、DVD化されたときにさっそく購入。以来、何度繰り返し観たかわからない。それだけではなく若い人たちと機会をみつけては一緒に観ることにしている。なにせ45年も前の話なので、観る前に当時の世相についていろいろと解説が必要である。冒頭に当時の渋谷駅前が出てくるが(今回、キャッチ画像で使わせていただきました)、当時から渋谷のシンボルであるファッションビル(今のSHIBUYA109の前身)の入口前から話が始まること、途中に出て来る「トルコ風呂」とは何のことか、インベーダーゲームの流行など、ちょっと言い訳がましく「古いんだけどね」などと言いながらみせている。観ている人たちも最初はいぶかしく思うのかもしれないが、きっと最後にはなぜみせたかをわかってくれるに違いない。事実、エンディングではあちらこちらからこらえきれないすすり泣きが聞こえてくる。ヤンチャ坊主の男子学生が、「あの司令補(鶴田浩二)、めちゃ、カッコいいです !」と目を輝かせて感想を言ってくれて、こちらも内心、してやったりと思ったりもするのだ。

 ある日、渋谷のショッピングビルの警備をしていた尾島警備員(清水健太郎岸本佳代子の兄妹)は、ビルの入口で動かない、車いすに乗った6人の青年たちに移動をするよう注意をした。それ以後、青年たちが入れ替わり兄妹の元にきてはいろいろと頼みごとをするようになる。最初は親身になっていた兄妹だが、彼らが二人のアパートに泊り込むようにまでなってしまい、当惑して上司の吉岡司令補(鶴田浩二・シリーズ通しての主役)に相談をする。青年たちの行動を不審に思った吉岡が青年たちに事情を聴くと、「幸せそうに見えた二人をめちゃくちゃにしてしまおうと思った」と本音をさらす。吉岡は「わざと人を困らせるようことをしてはいけない」と諭す。しょせん自分たちの気持ちはわからないと反発した青年たちだが、少しずつ、車いすの利用者であるがゆえにあった辛かったことを話し出す。藤田(京本政樹)が文通で知り合った同じ車いすの少女、前原良子(斉藤とも子)は、母親(赤木春江)が働きにいっているときはアパートの部屋でこもりきり、絶対にドアを開けてはいけないと言われている。藤田たちがなんとか外に連れ出そうとするが、アクシデントがあり、良子を深く傷つける結果になってしまう。青年たちも己の無力を痛感して落ち込んでしまった。その話を聴いた吉岡は、「君たちの人生は『特別の人生』だ。」「胸を張って、他人にギリギリの『迷惑』をかけてもいい気がする。いや、むしろかけなくてはいけないのではないか」という有名なセリフを告げるのである。尾島警備員と仲間たち、最後には吉岡が良子と母親の元に出向き、「そのままではいけない」「勇気をもって外に出るのだ」と説得する。良子は、皆の見守る中、駅の階段前で「どなたか、私を上まで上げてください」と声を張り上げ、通行人たちが応じるところでドラマは終わる。

 ヒロインの良子を演じる斉藤とも子は可憐で(実は、私と同じ年なんですよ、というとなぜか若い人が笑うんだが・・フン、昔はワタシだってこうだったんだから・笑)、こもりきりでこれからの人生を送るのはあまりにも気の毒である。藤田(京本政樹)は、まるで良子を牢獄から救い出しに来た王子様のようだが、公園に良子を連れ出した帰りに、踏切を渡る途中で良子の車いすの車輪が線路に挟まり、電車が迫ってきて危機一髪。青年たちはなにもできずに通行人が助けてくれた。その後、緊張もあったのか、良子は失禁してしまう。脊髄損傷で尿意を我慢できないのだ。若い女性が、好意を持ち始めている男性の前で一番見せたくない姿である。外になど出たらロクなことはないのだと思いつめても無理もない。

  青年たちの中心となり、吉岡と対峙する川島(斎藤洋介)にもつらいエピソードがある。結婚どころか、女性と付き合うことさえ無理だと思い、ある日両親のいる前で「トルコ風呂(ソープランドのこと)に行ってみたいんだよね」と言う。母親は「何をバカなことを」と言うが、父親は息子の気持ちを理解し、「金は俺が工面するから行かせてやれ」とつぶやく。少し良い恰好をして風俗街に出向いた川島だが、どこでも断られ、ヤクザに囲まれたりして結局何もできずに帰ってくる。「どうだった」と聞く母親に、精一杯「・・よかったよ・・・」と言うが、哀しみがあふれ出し号泣する。このドラマ屈指の切ないシーンである。                   このシーンには、私も何度となく涙してきたのであるが、実は最近ちょっと別の感想を持ち始めた。当時、川島がひとりで風俗街に行けば、断られる結果は目に見えているのである。風俗店側は、彼を適当に相手して金をふんだくって放り出すこともできたのだが、「安全上の理由から断った」というのはある意味常識的なのだ。車いすの身障者が風俗店を利用するのは当時は考えられないことだったから、実現するには面倒だが根回しが必要ではないか。具体的には父親が付き添って、近くに控えているとか(なんだかおかしいけれど)してお願いしてみたら、一か所ぐらいは人の気持ちの機微がわかる店もあったかもしれない。このような考えを持つようになったのは、山田さんの他のドラマの影響がある。「ありふれた奇跡」(2009年・フジテレビ)。山田さんの最後の連続ドラマという触れ込みだが、私はなんどかトライしながら完走できていない。ヒロイン役の女優さんがあまり好きでないこともあるが、偶然出会った若い男女が付き合い始めのときにちょっと改まったレストランで約束をして、左官職人をしている男性が普段働いている格好で行き、ドレスコードをとがめられて彼女が怒る、というシーンに違和感があったからである。細かいいきさつは忘れたけれど、なんでわざわざそんなところに行くんだろう。左官職人のウェアの彼と、陽当たりのよい河原で一緒におにぎりでもほおばった方がよほど楽しいのに。男性に恥をかかせたのは彼女の方ではないのか。そんなことを感じたあとに、改めてこの車輪の一歩のシーンをみると、いきなり「突撃」ではなくて他の方法があるんじゃないのかな、と思ってしまった。山田作品は、どうも人との対話を経ないで「実力行使」をすることが多いように思う。腹が立てばすぐ取っ組み合いの喧嘩をするし、結婚式場の控室や電車をジャックしたりする。なかなかうまく言葉にはできないこと、言葉ではわかってもらえないことがたくさんあるのはわかる。だが、いきなり実力行使をすれば、相手は気持ちを理解するどころか驚愕し、嫌悪感を持つのが落ちではないのか。ひいては、山田さんが嫌っていたはずの戦争につながりかねないと感じるのは考え過ぎだろうか。    斎藤洋介さんはこの作品がドラマ初出演だったそうだが、独特の風貌と活舌で印象深い役者であった。他の青年たちと一緒に吉岡と最初に食事をする際、吉岡のことを「吉谷さん」と言い間違えているのだが、これはNGじゃなかったんですね。「セリフは一言一句違えないで」と厳命していたという山田作品には珍しいことだ。

 山田さんが亡くなった後、NHKのクローズアップ現代で特集された(2023年12月18日・「生きる哀しみを見つめて」 )  。私とほぼ同じ年の、是枝裕和監督が登場して影響を受けた脚本家の一人として山田さんのことを挙げていた。大学の大先輩ですよね。でもリアルタイムの放映のときはどちらかというと反発して観るのを止めた、という。たしかにあの吉岡の説教くさいのがイヤだ、という人は、当時からいた。その後、「シルバーシート」「車輪の一歩」に触れ、その完璧な脚本に感服したそうだ(良かった、良かった)。山田さんの作品の特徴をきかれて「英雄は書かない。安易な成長を否定する。困難を必ずしも克服する必要はない、と言っている」と答えていた。ただ、それだと本作の良子もそのままで良いことになってしまう。良子が現状を受け入れて、その上で勇気を振り絞って「一歩」を踏み出したからこそ、視聴している私たちは怒涛の感銘を受けるのである。

 山田さんの作品のことを、いつも「『敗者』を書き続けた、寄り添った」と言う人は多いのだが、実は山田さんは「僕はよく『敗者』を書いている、と言われるのだけれど、そうではなくてごく普通の人を書きたいんです。普通の人の中に敗者性があるってことで」と言っているのである。奥様には「あなた自身が『敗者』だって言われてるわよ」と笑われたとも言っている。もうそろそろ山田作品のことを「敗者」と形容するのは止めたらどうだろうか。「勝ち」「負け」で人を論じること自体、あまりよいこととは思えないのだ。

 最後にこの山田太一さんの最高傑作が、地上波放映、動画配信で観られなくなっていることをとても残念に思っている。第4部で主役級の、出ずっぱりのある男優が、刑事事件を頻繁に起こしていることが原因だと思う。昔の1、2回のことなら、もうみそぎも済んだと言えるだろうが、最近も再犯しているとなると仕方ないかもしれない。山田さんはどのように思っていたのだろうか。山田さんの逝去を機に、オンデマンド配信だけでも復活してもらえないかと切に願います。