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Favorite Songs #1 - 稀代のメロディ・メイカー エリック・カルメンを偲ぶ

 昨年の大型連休に出向いた、とある都市。早朝に超マイナーな関心から市街の公園に行ったが、その後駅までのバスがなかなか来ない。天気もよいし30分ほど歩こうか。人っ子一人いない車道を気分よく歩けばつい好きな音楽などを口ずさみたくなる。曲はときどきによって変わるけれど、このときは往年のパワー・ポップの覇者、ラズベリーズの「レッツ・プリテンド」(1972年)だった。エリック・カルメンの美声をフィーチャーしたラズベリーズを聴き始めたのはもう50年ほど前、彼らが立て続けにヒット・チャートを驀進していたときだ。そのエリックが亡くなった。2024年3月9日、享年74歳という。

 最近、私たちの世代が夢中になって聴いていたアーティストたちの訃報に接するのは、順番からすれば仕方ないことなのだが、私にとってこのたびのエリックの喪失感は半端なものではなく、しばらく執筆意欲をなくしたほどである。このバンドはわずか数年で解散し、私も高校生になったあたりから洋楽からは卒業しつつあったが、なぜかラズベリーズだけはずっと聴き続けてきた。レコードて買ったベスト・アルバムをCDでも購入。赴任先に持っていきよく聴いていた。最近はテレビでユー・チューブをよく観るようになったが垂涎のエリックの演奏シーンが観られるようになり、感涙ものである。全くありがたい時代になったものだ。

 ビートルズの系譜に属するラズベリーズのファンは実は日本でも多かったそうだが、あまり騒がれなかったのは、当時の日本での音楽シーンが多様で充実していたこともあったと思う。私はと言えば、カーペンターズもいいけど、シカゴブラス・ロックも好きだし、先日亡くなったジェフ・ベックのギターの音にも惹かれ、そのうちにあのクイーンが登場して、学校ではブライアン・メイロジャー・テイラーのどちらが良いかと女子の間で毎日他愛もないバトルをしていたという日々。毎月楽しみに買っていた、月刊誌「ミュージック・ライフ」でも記事の中心はイギリスのバンドで、ラズベリーズをグラビアで見たことはなかった。それなので、ラズベリーズが現地では「アイドル的人気にとどまった」と聞いてもそんなものかとしか思わなかったが、ビデオで観るエリックはたしかに甘いマスクで、ギターを弾くときの腰のスイングなどまさしくアイドルのそれで、さもありなんである。ただ、まだ気持ちのゆとりがない時期だったのか、あまり愛想笑いもせずベストのパフォーマンスを届けることに集中しているように見えるのは、求道者が好きな私の希望的観測であろうか(実際にはグルーピーに囲まれて喜んでいたのかもしれないが、彼に関してはあまり考えたくない・笑)。ユーチューブでラズベリーズを検索すると、「レッツ・プリテンド」の録音風景が出て来る(アップしてくださった方に感謝します)。この無精ひげでヘッドホンをつけて歌っているエリックは実にセクシーで素敵である。ミキサー室でゴチャゴチャ言っているのが、名プロデューサーのジミー・アイナーか。ラズベリーズが、「エリックとその他3人」であることが奇しくも露呈してしまう貴重な映像である。

 エリックは、多彩な才能豊かなアーティストだが、ポール・マッカートニーに私淑しているというだけあって、自他共に認める稀代のメロディー・メイカーである。ヒット曲ではなくても大叙事詩のような「アイ・キャン・リメンバー」や「スターティング・オーバー」「さよならは言わないで」のメロディ・ラインはこのうえなく美しい。「ドライヴィン・アラウンド」でのシャウト、「レッツ・プリテンド」のイントロなしの入り方などは、ビートルズのポールの「ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ」や独立後の「マイ・ラヴ」での歌唱を彷彿とさせる。              ラズベリーズの英語の歌詞はそらで覚えているが、あえて和訳したことがなかった。今回、訳してみると実にシンプルなラブソングが多いのだが、そこもポールの曲と似ているところである。「レッツ・プリテンド」なんて、いろいろと周囲に障壁のある二人だが、いずれはすべてうまくいくと思いこもうと男性が女性をなだめすかし、もうガマンできないのでさせて、と言っている歌である(ああ、訳さなきゃよかった・笑)。想像だが、彼にとってはメロディ・ラインが何よりも大切で、歌詞はそれのじゃまにならず、かつ彼が歌いやすければよいと思っていたのではなかろうか。なお、それほど尊敬していたポールに、エリックがどう評価を受けたのかは伝わっていない。あえてノー・コメントにされたとしたらちょっと気の毒だが、まあ世の中そんなものである。ポールと確執のあったジョン・レノンはラズベリーズのファンを公言していたそうだが、何か含みがありそうだとうがった見方ができないでもない。「レッツ・プリテンド」の半年ほど後に、ポール・マッカートニー&ウィングスの「マイ・ラヴ」が世界的にヒットしたが、エリックはこの曲を聴いてどう思っただろうか。

 ラズベリーズ解散後は、音楽業界はエリックを放ってはおかず、ソロとなりあの大ヒット曲「オール・バイ・マイ・セルフ」(1975年)を出した。来日公演も行ったりした後パッタリと名を聞かなくなってしまったが、彼を売り出そうとするレコード会社などと悶着があったらしい。たしかに来日時のポートレートなどは、彼をまるで貴公子のように扱おうとしているが、本人が「イヤ、違うって」と言いたくなったとしても無理もない。レコード会社がいささかヘンだと思うのは、ラズベリーズ時代からLPジャケットのセンスが悪いことで、これで彼がOKを出していることで逆にそんなことはどうでもよいのだな、と好感を持ってしまっている私は誠にヘンクツなファンである(笑)。

 話題となった2004年の再結成コンサートでは、54歳のエリックがあの声を出せるのだろうかと気になるところだっただろう。もちろん満を持しているはずだが、ハラハラしながら見ているとほとんどキーを下げずに頑張っていた。眉間をしかめてアゴをしゃくりあげて出す高音は健在で、当時の観客はさぞかし喜んだことと思う。

 今回、改めてエリックのことを調べていて、あの「フット・ルース」の「パラダイス~愛のテーマ」 (アン・ウィルソン&マイク・レノ 1984年)のライターがエリックだったことを知って胸に熱いものがこみ上げてきた。やはり私の好きだった人に間違いはなかった、というような不思議な感動である。私はきっとこれからも彼の曲を聴き続ける、そう確信した。        

 音楽の女神、ミューズにこよなく愛されたエリックは、今は天国で至高の音楽に包まれているだろうか。私の人生を豊かにしてくれてありがとうと感謝の思いでいっぱいである。どうぞ静かに、安らかにお眠りください。