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2018年 石炭と石灰岩

 地理を確認するついでに地質のことも探ってみた。ブラタモリ流にいえばこの県全体のややこしい地形が「どうやって出来たんだ」ということにはなるのだが、さすがにそこまでは門外漢の私にそこまで突き詰めることはできない。せいぜいこの分野に関する論文を片っ端から読みあさるしかないのだ。とは言っても出てくるのは戦後から昭和四十年代辺りのものばかりである。結局「お手上げ」に近い状態だが少しは興味を惹かれた内容も無くは無い。赴任の時に窓から見た多良岳の峰々の美しさも印象に残っていた。
 長崎で地質と言えばまず雲仙だろうが大きな活動時期は五十万年前からのものと十万年前以降とある。九州の他の火山関係も見てみたが阿蘇は「ASO―4」と呼ばれるほぼ現在のカルデラを形成した四回目の大噴火も含めて二十七万年前辺りからと言うことだ。地質学、言い換えれば地球の歴史で言えば五十万年や百万年前は「ごく最近」のことである。霧島連山や鹿児島の姶良(あいら)カルデラも大体は同様の時期である。それぞれの研究者の方々には申し訳ないが私の頭の中では「ひとくくり」になってしまった。それにいずれも西日本全域に強大な影響を及ぼした活動である。位置的に中央構造線との関連も否めない。
 ひとくくりにしてしまったとは言えあくまでも年代的な話である。それぞれの規模や影響範囲も広すぎてとにかく掴み切れない。もちろんそれらの「ごく最近」の火山活動以外にそれよりも古い活動もあるのだろうが逆に火山の影響が強すぎて痕跡が埋もれてしまうということもあるかも知れない。
 長瀞や秩父がそうではないのか。近くに活火山が無かったが故にとんでもない地質が露出しているのだ。とにかく九州全体や西日本と繋げて考えるのは不可能に近い。私の持論からすれば全てが関連し合っていることは解ってはいるのだが今回はミクロに見ていくしかない。ミクロとは言ってもそれですら年代的にも規模的にも「壮大な想像力」を必要とする話なのだ。まずは私の調査対象のエリアに絞って考えることにした。
 まず大きな引っ掛かりとなるのは長崎県西沿岸部、特にその島々にある炭鉱の存在だ。日本の石炭層は概ね古第三期(六六〇〇万年前後~二三〇〇万年前)頃のものと言う話だがそれとて四十六億年の地球の歴史から見れば「ついこの間」程度ではある。とは言っても日本列島が大陸から離れ始める以前のことであり恐竜が絶滅したころからの動きと考えれば「大体それぐらいの時期か」ということは想像いただけると思う。炭鉱と言えば御存知のように出荷量日本一を誇った福岡の筑豊や有明海沿岸の三池炭鉱など名だたる炭鉱が九州の他地域にもある。諫早地域にも石炭層はあるのだが質の問題で炭鉱としては発達しなかったようだ。
 石炭と同時に気になるのが西彼杵半島西海市七ツ釜の鍾乳洞とこの半島の主に東部大村湾沿いに見られるという「結晶片岩」の存在である。鍾乳洞と言うことは石灰岩、もとはサンゴである。一方片岩と言うのは海洋プレートが大陸の下に沈み込む際に形成される岩石で地表で見られるのは稀なのだ。
 もちろん他の地質活動で埋まったり崩落したりで確認しずらいと言うこともあるのだろうが植物起源で陸のプレートで多くみられる石炭層と海洋プレート由来の石灰岩、結晶片岩が距離の近い位置に存在するというのは恐らく「とてつもない何かが起きているに違いない。」ということだけは理解できる。まあ日本列島のみならず地球上の何処であってもとんでもない大事件は起きているのだが。もとよりまだこの時期は言った通り日本列島が今まさに出来ようとしている時なのだ。それだけではない。地球上の大陸も大きく二つぐらいにしかに分かれていない時期だったように記憶している。プレート構造もその力の方向も今現在のものと同じではない。テレビ知識程度の私にはそこまでが精一杯だ。
 個人的にはこの島国での人の歴史との接点を考えるとすれば明治以降の国の産業の基幹となった石炭、戦後復興や高度成長をそれこそ礎として支えたセメントが「よくもまあこの資源が無いと言われる日本列島に有ったものだ。」とは感じる。だがそれとて私の専門分野から言えば「たまたま」などではない。人類が生まれる遥か以前の何千万年何億年という歴史があり、今まさにこの時が存在している。それは既成事実として存在していて決して「偶然」などではないのだ。見方を変えれば「もしそうでなかったのなら違う歴史になっていて今あるこの瞬間は存在しない。」ということだ。

2018年 地理 ◁ ▷ 2018年 多良岳

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