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1587年 純忠没年

「純忠、いや十三六殿、ここに来て何年になりますか。」
 隣の寺の和尚だ。久々にこの名前で呼ばれた。何度も遊び訪ねた元の時代を思い出す。あの頃には「とざむ」と呼び捨てだったが。文が大村へ来てからも何度か訪れた。この館とは庭から出入りできるのは何度も話した。
 龍造寺からの私の蟄居を口実にして旧臣の使ってない屋敷を「ああ、あそこだ。」とピンと来て隠遁場所に決めたのだ。偶然とはいえまさに史実通りである。歴史とはこのようなものか。やはりなるようになるよう出来ているのを実感したのだった。
「この時代に来てから十五年。こちらに隠れ住むようになってからも五年以上です。」
「そうか、そんなになるかあ。長かったかねえ? 短かったかねえ?」
「私には判りません。そのどっちでもあるような。はじめは夢だと思っていましたのでそれにしては長過ぎます。が、こちらに来てしまったのが現実だとなるとやっておかねばならないことがまだまだあります。ただ最近は自分の影が薄くなっているのを実感しています。やはり歴史通りまもなく消えてしまうのでしょう。このままこの時代で終わってしまうのか、元の時代へ戻れるのか、それすらも判りません。」
「少しでも今の姿であり続けたい、やれることはやっておきたい、というのは誰もが持つ煩悩じゃ。あたりまえたい。ただ、あなた様の場合にはもうちょっと話がややこしか。帰りたいという気持ちもあっとやもんね。けどあなたの言う通りどっちも本当の気持ちで真実に外ならん。迷いがあってよかよ。そんな時はとにかく流れに身を任せるしかなか。すべては阿弥陀様がお考え下さっとる。それに従うだけよ。あなた様の願いというのは形のあるようで無いようなものたい。あなたがその自分自身の願いをはっきりとは語れんとしてもあなた自身はこの大村では既に願いをかけられた身じゃ。説教がましいことを言うてしもた。」
 和尚は続けた。
「私は寺を焼き討ちされた時にはほんに寺をどげんしよかと途方に暮れました。けどあなた様の話でこん先四百年以上もこの寺が立派に続いとるっ聞いた時は安心しました。それも未来の住職とお知り合いとは阿弥陀様のお導きとしか言いようがなか。」
 たしかに仏教界ではよく聞く言葉である。ただ私には私の思うネットワークや歴史の必然性をこう表現しているのだと感じさせられていた。
「そうおっしゃっていただけるとなんだか少し心が落ち着きます。」
「信仰というのは民の心を救う反面、その時代その時代の力のあるものに利用されたり弾圧されたりするものたい。この寺も焼き討ちを受けたし本山も結局信長公に潰されてしもうた。キリシタンも同じじゃ。キリスト教というのは元々は羅馬からは睨まれておったそうじゃのう。それで神の使いとされる教祖も処刑の羽目になったとか。ところがどうじゃ、今では羅馬はキリシタンの総本山ではないか。そんなもんたい。」
 このまま今の状況を受け入れればよい。私はそう解釈した。
「向こうにいるとき、よくこの崖を見た話はしましたよね。」
「そうそう、そうやった。」
「おそらく未来永劫この崖が大村の街を守ってくれることでしょう。私はそう信じています。」
「ほんとにそやったら有難いことやね。南無阿弥陀仏。」
「とはいうものの和尚、このままあの時代に戻れないとしたら私には心残りがたった一つだけあります。今の私の状況では無理な願望で、それが一番の煩悩なのは理解していますが。」
 文とは二度と会えないかも知れない。何の言葉を交わさないまま私自身が消えてしまうのかと思うとそれが辛かった。だがこの時代の私の存在など残せないのは当然のことだ。喜前公にも富永殿にも念を押した。この時代の人間としての覚悟も出来ていた筈。それなのに何故今になって悔いが残るのだ。ことわざにもあるではないか。
「出る悔いは打たれる。」と。
 ここは笑うところだ。残された時間の中で焦る自分と妙に落ち着いた自分の両方がそこに存在した。最初にこちらに来たあの日と同じだ。
「心配するな。策は講じてある。きっと気づいてくれるはずたい。それより令和のこの場所でやっとるじゃずとやらを私も聴いてみたか。阿弥陀様が代わりにもう聴いてくださっとるかねえ。」
 私も聴きたかった。できればあの曲を。つたない英語力だが訳せば今の私の心境そのものだ。

♪  'Cause, All of me ~               序章  完

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