見出し画像

Scatterbrain(エッセイ)


Radioheadの6枚目のアルバム『Hail To The Thief(ヘイル・トゥー・ザ・シーフ)』に、「Scatterbrain(スキャッターブレイン)」という曲が収録されている。哀しく、トム・ヨークの歌声が優しくてとても好きなのだが、scatterbrainの意味を知ったのはだいぶ後になってからである。「注意力散漫な人」。ハッ自分のことじゃん、だから好きだったのか……?となった、苦いような甘いようなアンニュイな思い出。

「mistyさんは、不注意なところは基本にあるよね」ということを先生と喋った。僕はそういうことも含めて発達障害の検査をかねてより受けたいと申し出たことがあるのだが、どうもこの先生は発達の診断をいやがるようだ。他の患者に対してもそうらしい。それは置いておいて、注意力、不注意、このあたりの自分の”特徴”(意味付けしないフラットなものとしての)を、他の能力でカバーすることがあなたにはできますよと言われた。いやできたらこんなに苦労してねぇわ。

という話も置いておいて、たとえば「不注意」だと、Google辞書でcarelessnessという言葉が出てきた。最近哲学界隈でとみに聞く「care」の否定語である。これは面白いと思った。僕の不注意と、「ケアの哲学」には、何か関係があるのかもしれないと妄想した。

最近人文系の著述界でご活躍しておられる小川公代さんの本は(興味は多々ありつつも)読んでいない。『美術手帖』が過去に刊行したケア特集を眺め読みしたことくらいだ。だがよく思い返せば、看護師からみた現象学、看護やリハビリテーションなど、医療業界における現象学の実践的な探求という本を、何年か前に探したりしていたな、と。

西村ユミさんの『語りかける身体 看護ケアの現象学』。Amazonで検索すると文庫化しており新品で買えるみたいだ。これは僕がこの本の存在を知った時は単行版が出たばっかりの時だったように思う。ナース(当時は看護師という言葉が広まる前の段階だった)のバーンアウトなどが語られていて、そこで医療業界の大変さ・しんどさを初めて知った気がする。『語りかける身体』は、哲学界隈においても画期的な本が出ました!というような雰囲気が当時すでにあったように覚えている(僕自身は1/4くらい読んで放置してしまったのだが)。もう一人重要な人がいて、村上靖彦さん。『レヴィナス——壊れものとしての人間』などで知られる、レヴィナスの専門家にして医療・福祉に従事者である。
「看護の現象学」「リハビリテーションの現象学」。これらは何を意味するのだろうか。看護師さんにお世話になったことは何回かある程度(と認識していて)で、リハビリでは、腰を痛めた時に三回ほど通ったところ当の痛みが消えてしまったためにその後通わなくなってしまった。
患者と向き合うケアラー。ケアラーが対峙する患者。そして、両者が織りなす間主観性……。こんなところだろうか。
看護やリハビリといった、医学的な知識や教養では解明することが難しい分野を、いかに当事者は体験し、経験化するのか。とても興味がある。興味があるし、実際医療と福祉にお世話にならない人はいないし、看護やリハビリの世界で何が(人間の心理や精神に)起こっているか、現象学をおさらいしたあと、ぜひ勉強してみたいと思った。

……とまぁ、注意力散漫であることをこの記事によっても体現したわけだが、僕の課題は「注意力とは何か、注意力が欠けているというのはどういった状態を指すのか」を知ることである。これは、現象学に触れることで、いくつか分かってくることがあるのかもしれない。

セリーヌ、カフカ、アルトー、大家健三郎、そしてカフカとブランショのように。