『吉備』の国名はどこから?…日本書紀に見る由来…物部氏の古里だった
吉備の国と言えば、現在の岡山県全域と広島東部と香川県島嶼部および兵庫県西部(佐用郡の一部と赤穂市の一部など)にまたがる有力な地域の一つで、大和、筑紫、出雲などと並ぶ古代日本の四大王国(四大王権)の一角であった。
では、この『吉備(きび)』という国名の由来は何なのでしょうか?
実は、『日本書紀』(神代 上)にヒントが隠されています。
下の記述は、「全現代語訳 日本書紀」(宇治谷孟著)から神代上の一部です。ちょうど中ほどの中心に書かれています【韓鋤】(からきび)という処に(赤破線枠)注目です。
これは『韓鋤(からきび)の剣』で大蛇の頭と腹を切ったとされています。そして、吉備の神主のところにある(日本書紀の当時)としている。
この剣は、現在、奈良県天理市『石上神宮』に所蔵されているという。
この『韓鋤の剣』を素直に解釈すると、
韓鍛冶が造った剣
ということである。
要は、『鋤』とは『鍛冶』の意味と推測される。
二点ほど述べてみよう。
(1)鋤(きび)から吉備
実は中国地方は、古代の製鉄技術の開発と普及を担った地方である(「出雲・吉備・伊予」(吉村武彦他))。
詳細は語るまでもないが、
出雲のたたら、備前長船(剣)
などでもよく知られた通りである。
日本では太平洋岸よりも日本海岸の方が良質の砂鉄が採れる。
西日本(とくに中国地方)で古くから山砂鉄が採掘された。山陰側の磁鉄鉱系列花崗岩に由来する砂鉄は純度が高く、「真砂(まさ)砂鉄」と呼ばれる。
(2)物部氏の古里
この吉備の岡山県には、物部を氏として持つ人が多い(下図は、名字由来ネット)。全国1位である。
物部氏が、韓鍛冶として吉備地方に古里を持ち、後に大和地方石上神宮地域に勢力を持つに至った。
その背景は、鉄の鍛冶として、剣を始めとする武器の製造に長けていたことが挙げられる。下図は、大和の豪族分布である(右上が物部氏)。
当然のように、現在の岡山県北部地域での製鉄は、出雲のたたら製鉄とも深い関係を持っていたのは当然で、
吉備と出雲には、古代に深い交流関係があった
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?