古代奈良盆地は池の底

奈良には古代の人達が住み、ヤマト王権が出来た訳ですが、さらに昔、邪馬台国時代は水捌けの悪い盆地の底でした。
奈良盆地は、古代は湖でした。 300万年前には古琵琶湖(甲賀湖)の水が古瀬田川を通って流れ込んで、奈良湖(古奈良湖、大和湖)が出来ていた。 奈良湖が広がっていたのは、ちょうど奈良盆地の中央部の西側。 大和川、曽我川、葛城川、竜田川、富雄川などの幾つもの川が合流している地点。 地域名でいうと生駒郡、葛城郡、磯城郡のあたりになります。 200万年前の二上火山の噴火に伴い大和川北側の山体が崩落して、大規模な土石流が発生して谷が埋没しました。 その結果、奈良湖は流れ出すところのない湖となりました。下にその様子を示しています。

古代の大和湖

飛鳥時代から古墳時代は下図のようでした。これ以前も同じでしたからこの盆地に大規模な『国』があったとは到底考えられません。

飛鳥時代から古墳時代

現在も奈良盆地に流れ込む川は多いのですが、これを外部に排水出来るのは大和川だけですので、東京のように排水能力の小さな地域ですね。今なら大雨が降るとマンホールの蓋が踊り、場合によっては吹き飛んでしまいます。
なお上記の図・資料は下記から頂いています。
『近畿の地質的景観』第4回 奈良湖 | 奈良の鹿 (ameblo.jp)

いずれにせよ奈良盆地は現代でも梅雨時期の前には市町村が集まり、洪水対策の打ち合わせをしているくらいです。
さて現代はどうでしょうか?競って平地に住みたがるようですが、案外、かつての水の集まる場所という事はないでしょうか?
気を付けた方がいいでしょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?