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天からの洪水…アトランティス消滅・ノアの洪水・ツダの洪水 3000年毎にやって来た巨大惑星と文明の消滅

 歴史上、伝承として語られる『洪水伝説』。これまで世界的に有名なのが『アトランティス消滅』、『ノアの洪水』でした。
 筆者は、日本古代の文献『日本書紀』(神功皇后と石上神宮)そして、弥生時代に造られた『高地集落』(現在で見ると高地であり、当時は海辺)という物理的証拠から、『紀元一世紀から四世紀』に起きていた100mを越える海面能上昇の二つの事実からこの紀元1世頃から100年以上続いた洪水があったことを明らかにしました。
 また四世紀には朝鮮半島南部伽耶地方には、30mの海面上昇があったことが報告されています。30mを越える丘の頂上付近には牡蠣の貝殻が群生し、付近からは貝塚も発見されています。
 もう一つ興味のある事実は、国宝志賀の島金印『漢委奴国王』(後漢・光武帝から、紀元57年に下賜された)との関連です。

国宝志賀の島金印

この金印は何故、志賀の島で発掘されたのか…研究者の間では『二百年間の謎』とされているようですが、これは容易に解くことが出来ます。

博多湾と志賀の島

上の地図(google map)では博多湾を示していますが、この辺りが古代の 『奴国』に当たります。中央付近の(上下に)長円になっているのが、志賀の島になります。
 当時は、外海の玄界灘から内海の博多湾に船が、九州上陸のため、水や食料・物資の補給のために停泊することになっていました。志賀の島は丁度博多湾に入る船を検問(?)するための場所としては最適で、パスポートコントロールのように湾への入船許可を与えた場所では無かったでしょうか?
 先に述べた通り、紀元1世紀には、海面上昇(洪水)が始まり、志賀の島にあった検問所は水没して砂の中に埋まってしまいました。
 4世紀頃からは、海面も下降を始めて、5世紀頃には現在の海面の高さと同じになった訳です。これが江戸時代に、百姓によって発見されたものです。
 以上を時間の流れと海面上昇の高さで表すと下図のようになります。

海面上昇の時間的変化

 以上の事から、二つの事実を検証できます。
(1)日本書紀の記述と弥生集落遺跡から洪水が実際にあった
(2)日本書紀に記述された年号は正確であった
という物証を得ることが出来ます。
 この3つの洪水は、ほぼ3000年周期で発生していることが分かります。
(紀元前6000年頃については現時点では不明ですが)既にご紹介した『高橋氏の惑星説』もがぜん信憑性が明らかです。
 今回は、
   日本にもあった洪水の痕跡と金印の謎
についてでした。


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