見出し画像

娘はカウンセラー

来年から娘の就職活動が始まる。親としても無事就職できるのかどうか心配である。
 退職して間もなく娘がある仕事をしたいと私に相談してきたことがあった。
 私は自分の経験から「そんな仕事はやめたほうがいい、給料は安いし、重労働で長くは続かないぞ。それよりもこんな仕事のほうがいいのではないか」と軽い気持ちでアドバイスした。
 数日後、娘が妻に
「二度とお父さんには相談しない」
と言っていたというのである。娘に良かれと思いアドバイスしたのにどうしてそんな風に思うのか合点がいかなかった。

キャリアカウンセラー養成講座に通うようになって紆余曲折もあったのだが、どうにか講座も最終段階を迎えたころ、カウンセリングとはどういうものなのかが、少しわかるようになってきた。
 一次試験が近づいてきたころ、勉強の苦しさから、娘の前で
「1回で受からなくてもいい、また次があるから」
とエクスキューズしたところ娘は
「そりゃ逃げだよ、1回で受からなければ一生受からないよ」
と冷たく言い放った。
私は本当に自信がなくて不安だったのである。娘に言われて発奮したわけではないが、前述のとおり本当にぎりぎりで一次試験の筆記に合格することができた。
そして二次試験の前日には娘を喫茶店に誘い、ロールプレイのクライエント(相談者)役として実験台になってもらった。アルバイト先の悩みについてカウンセリングすることになった。カウンセリング終了後、娘からは厳しく
「お父さんはカウンセラーに向いてない。私が今どんな気持ちでいるのか、どうしたいのか、そのためには何をすればいいのかをちゃんと聞いてくれていない」
と言うのである。
 私は驚いた。娘がまるでカウンセラーのようだと思った。要領をつかめずにいたモヤモヤが晴れた思いだった。
二次試験当日、娘に言われたことを思い出しながら、内容はとにかく落ち着いて受験できた。そして幸運にも、またも一発で合格することができた。なぜ合格できたのかは、いまだにわからない。娘にはそれはおかしいと言われる始末である。
 晴れてキャリアカウンセラーに成れたのは、親子だから言える遠慮のない厳しい娘のアドバイスのおかげと今は感謝している。

さて、娘が私に就職の相談をしてきたときのことを思い出してみた。
 あの時は娘の気持ちよりも、親として、また私の経験や価値観で一方的にアドバイスをしてしまった。
カウンセラーになった今だったら、どう娘に対応するだろうか。
 まずは、なぜその職業に興味を持ったのかを訊くだろう。そして娘に仕事をしている自身の姿をイメージさせ、将来どうなりたいのかを考えるように促すだろう。報酬や仕事の内容などは本人に調べさせることに意味があり、その前に私の経験や価値観に基づくアドバイスは控える。たとえ言ったとしても、娘は納得しないし受け入れないだろう。訊かれたことだけにアドバイスをすることに努めるようにする。親としてはもどかしいが我慢する。

娘の大学の就職課にもキャリアカウンセラーはいる。娘の担当カウンセラーは親身になって相談に乗ってくれると、学内でも評判の人だと聞く。
 就職氷河期の中、就職戦線を学生と共に戦ってくれているらしい。そのかいあって娘は希望していた会社の内定をゲットし、担当カウンセラーに報告を兼ねて、お礼に行ったという。私も親として担当のカウンセラーに感謝である。
結局、私は娘に助けてもらったが、娘の役には立てなかった。
 目標を達成するためには仲間が必要だ。現役の時と違い、その仲間は自分から求めていかなければならない。今回は娘が重要な仲間の役割を果たしてくれた。

仲間の存在は人生を豊かに生きる栄養剤のようなもの。仲間の存在は共通の目的や志に向かって共に行動することによって意識される。多様な老若男女の世代間交流を体験することで、自身の人生にいろどりを与え、活力をもたらす。
 また、人は必ず「一人」になる。「独り」にならない備えは必要だ。やはり「仲間」はいたほうが良い。「独り」の文字を見ただけで孤立・孤独・孤独死などのネガティブなことを連想してしまう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?