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友人が背中を押してくれた転機

合格して資格を取得した達成感に酔っていたのだが、その酔いがさめるのは早かった。
 資格を取って近くの女子大で学生の就職支援をするつもりだったが、出鼻をくじかれたからだ。私にとっては良い条件だったので残念だ。資格は取ったものの、これからどうしよう。
「資格は取得することがゴールではなくスタートである。これから先は約束されたものではなく、どう生かしていくのかは本人次第である」
 と養成講座の講師が言っていたことを思い出した。

測量の仕事を手伝い始めて1年近く経った年の暮れには、晴れて還暦を迎える。
 慣れはしたが、やはり測量の仕事は体力的に辛い。真夏の炎天下、真冬の北風の中の作業は特にきつい。
現場から帰る車中で友人から
「資格を取ったのだから資格を生かした仕事をしたほうがいいよ、こっちの人手は何とかなるから」と、言われた。続けて
「本当にやることがなかったなら、このままずっとパートナーとしてやっていくつもりだった。だから工事設計図の見方まで教えたし、一人で法務局にも行ってもらった」と、彼は言った。
 私が無理して測量の仕事をしていると感じていたのかもしれない。
 そして
「せっかく苦労して資格を取ったのだからもったいないよ」とも。
私はちょっとジーンときてしまった。昔から優しい奴だったけれど、40年以上の付き合いの中で、私は一緒に遊ぶことはしても、彼のために何かをしてあげたことがあっただろうか。貴重な体験をさせてもらったこの1年、面と向かっては言えなかったが、彼には感謝、感謝でいっぱいである。
そういえばこんなこともあった。発注元の自治体の課長が測量現場に来た時に、還暦になる同級生が一緒に作業しているのを見て微笑ましいと言っていた。仲の良い還暦コンビに見えたらしい。測量の仕事をしながら今後のビジョンをどのように描こうか考えていた。

最初はカウンセリング協会の斡旋により、週末に大手求人情報会社が大学生や転職者向けに開催する就活セミナーなどに、カウンセラーとして参加していた。定期的にあるわけでもなく仕事としては物足りない。
 養成講座の講師からは
「資格をどう生かしていくのかが大事」と何度も言われた。
 そう、待ちの姿勢ではダメなのだ。これまでのネガティブ調からポジティブ調にギアチェンジした瞬間だった。
今にして思えば、退職前の「男のロマン」はどこに行ってしまったのだ。思ったようにことが運ばない、こんなはずじゃなかった退職後の人生。待ち焦がれた自由を手に入れたはずなのに「男のロマン」なんて空想の世界だったのか。
 目標もなく、やることのないことが、こんなにも不安になるなんて思いもしなかった。

仕事人生から心身ともに解放され、やっと手に入れた自由。自分で何でも決められる自由を満喫するには「自立・自律」していることが前提である。自由な時間はたまに過ごすには贅沢、ずっと続くと苦痛になる。ずっと続く自由は単なる暇である。リタイア後は時間がありすぎて自由=暇になりがちだ。

町を歩いていた時に、突然得も言われぬ不安に襲われたことを思い出す。それから比べるとちょっぴり先のビジョンが見えてきそうな気がしてきた。

先が見える、ビジョンが持てることで、一歩前に進む気持ちが芽生える。前と違う自分を感じたとき、気持ちにハリができポジティブになれる。

ポジティブに何かを模索し、考えているときはそれなりに充実した気分でいられる。なりたい自分をイメージすることは簡単ではない。具体的にイメージできた時に目標を持つことができる。
ともすれば我々の年代は自由=暇になってしまう。自由(暇)があることは悪いことではない。これを手に入れたかったはずだ。にもかかわらず有り余る自由(暇)は不安を引き起こす。本当の「自由」は目的や目標を持って行動している人に与えられた権利のような気がする。

有り余る自由(暇)を「羨ましい、贅沢だ」という人もいる。上手に楽しんでいる人もいるだろう。私は元来じっとしていることが苦手だ。子供の頃は「落ち着きのない子だった」と母は言っていた。普通の人以上に何もすることのない自分に、肯定感を持てなかったのかもしれない。「男のロマン」はほとんど実践できなかったが、それに代わる何かを見つけないと私は死んでしまいそうな気がした。
資格を取得して一年が経っていた。

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