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■報われた思い  #第2の人生 を生きる

講座当日の受講生は15名。自治体の職員とスタッフの見守る中、途中10分の休憩を挟み2時間の講座は始まった。
「最初の3分間をうまく乗り切るとスムーズにいきますよ」
と、丸山さんからは言われていた。開き直って臨んだこともあり、なぜか落ち着いて大した緊張感もなく、受講者の前に立つことができた。余裕はなかったが講座は順調に進んでいった。多分最初の3分を何とか乗り切れたのだと思う。
しかし休憩後の後半30分過ぎた頃、用意した資料が時間内に終わりそうにないことに気が付いた。
頭の中でカットする部分を考えながら、最後の15分は少し、はしょり気味になってしまった。事前に言われていた時間配分がうまくできず、用意していた内容の70%くらいしかできなかったような気がする。あっという間の2時間の講師デビューであった。
 丸山さんからは
「初めての時はほとんどの人は時間が足りなくなる。時間配分は経験がないと難しい。経験を積めば大丈夫」と慰められた。
数日後、自治体より送られてきた講座のアンケートを丸山さんから見せられた。可もなく不可もなくといったところだった。一番気になる丸山さんの評価はと言うと、まあ及第点とのことだった。少しホッとした。
 背中を押してくれた桜井さんには、もちろん報告した。

1か月ほど経ってから丸山さんから連絡があった。前回と同じ自治体から退職直後の男性を対象とした講座を企画したので、その講師を私にやって欲しいとのオファーであった。まさかこんなに早く2度目のオファーがくるなんて思ってもみなかったので、驚いた。
テーマがテーマだけに私の年齢からして、ちょうどいいと主催者側が思ったのかもしれない。そうはいっても何を話したらいいのだろう。キャリアカウンセリングが専門の私としてはこの手のシニアの生き方に関することなどできるのだろうか。どうしたらいいものかネガティブな弱気の虫が頭を持ち上げた。

 ここでまた桜井さんにご登場願う。
 再度オファーを受けた話をすると、彼女はびっくりした表情をして
「よかったじゃない」と喜んでくれた。
 オファーを受けたもののシニア向けのカウンセリングなどしたこともなく、いったい何を話したらいいのか困惑していることを話した。
しばらく時間をおいてから
「退職後、あなたが今まで体験してきたことを話せばいいのよ」
 と、またも意外な一言をさらっと言った。しかし受講者が私の体験談などに興味を示してくれるのだろうかと不安に思いつつ、この話を丸山さんに話してみた。
 彼女もまた
「私もそう思う、実体験だから説得力がある」と言うのである。
 二人にそう言われて気が楽になった。その線でいこうと腹を固め、資料の作成に取りかかった。

主催者側のチラシに講座の対象者は「定年を控えた方または定年退職直後の方」となっていた。特に男性のみとはなっておらず「ご夫婦でもどうぞ」と記載されている。当然、私も主催者も団塊の世代を中心とした男性が受講するものと思い込んでいた。
ところが、ふたを開けてびっくり2日前の集計で30名位の申し込みがあり、それも全員女性とのことだった。
 予想外の事態にあわてた。当然私の資料は男性を意識して作成されている。丸山さんは「こういう事態もありうることで、臨機応変に対応しなくちゃね、これもいい経験よ」と経験がそうさせるのか、落ち着いて涼しい顔である。
 そして女性向けに資料を作り変えるべく、丸山さんに協力してもらいながら資料を作り上げた。

もう一つ問題があった。受講者が予想していた人数よりも多かったことだ。講座の中でグループワークなども予定しており、一人ではとてもさばき切れない人数だ。
 これも想定外のこと、すべて経験だ、などと悠長なことを言ってはいられない。
 何とかしなくては!
受講者は全員女性、それも30名。原稿は女性用に作成し直したが、問題はグループワークをどうするかである。一つのグループに6人ずつとして、5つのグループができる。初心者の講師一人では、とてもまとめ切れない。丸山さんになんとか都合をつけてもらいファシリテーター(まとめ役)として講座に参加してもらった。
 市の職員方にもお手伝いいただき、なんとか予定していた内容は、時間内に全てやり終えることができた。
 おそらく今回も最初の3分をうまく乗り切ることができたのだろう。いろいろ困難なこともあったが、私自身も受講者と一緒に講座を楽しむことができた。

終了後に受講者の方から「楽しかった」と言われ、市の担当者からも「みなさん楽しまれていましたね、ありがとうございました」と笑顔で言われた。
やはり気になるのは丸山さんの評価だ。彼女は終了後、ニコニコしながら私の顔を見ながら、みんなに見えないようにそっと右手の親指を立てた。
「良かった!」2時間立ちっぱなしの講座は、緊張も重なり疲れたけれど、報われた思いがした。丸山さんをはじめ、お手伝いいただいた市の職員の方々に感謝です。

帰りの電車の中で何とも言えない、今まで味わったことのない心地よさが胸を覆った。「達成感?」「充実感?」とも違う、何か言葉では言い表せない「感動」した時のような心地よさであった。
問題山積で始まった講座だったが、今回は終わりよければすべてよしだ。そして講師をすることになったいきさつを思い出していた。
 あの時に
「1枚のチラシを見なかったら」
「あの人に合わなかったら」
「ランチに誘わなかったら」
「講師のオファーを断っていたら」
 と走馬灯のように頭の中を駆け巡った。

歳を重ねていくと緊張感を味わう機会が少なくなっていく。たまに味わう緊張感は日常生活のスパイスとなる。緊張が解けたときの開放感は何事にも代えがたい。

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