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春日傘~ショートショート⑧関係傘


約2600字

 

①店主の回顧


トマトソースの焦げる美味しそうなにおいに、絵美子のおなかが鳴る。
もう時計は十四時をまわっていた。

『マスター、』
『ん、どうかしたかの』
『この喫茶店はずっと、おひとりでされているんですか?』
『うむ、妻には早くから先立たれたが』
『ひとり娘がいたんじゃ』
『そうですか』

『その娘は高校卒業までは自宅で一緒に住んでおった』
『土日は店を手伝ってもらっていたが』
『ゆくゆくはこの店を娘にゆずって、隠居したかったがの』
『高校卒業と同時に東京に出たいと言い出して。』

少し遠くに視線をあげながら店主は呟く。

『東京で働きながら一人暮らししておるよ。おそらくな』
『この街には、何もないと捨て台詞を残しての。』
『最後には言い争いになった。』
『おそらく、都会のどこかで頑張っておる。』


店主はしずかに回想しはじめた。絵美子はパスタをからめたフォークの手が止まるほどに店主の話に耳をかたむけていた。『おそらく。』愛娘の消息がどうしておそらくなのか、絵美子は店主の心中を図りかねていた。

壁にかけられた古いケントの絵が色あせて、いい味を醸している。ケント、とは西洋リンゴのことだ。この絵はニュートンの林檎の樹の絵だという。

万有引力はあるがままの真実だ。
人の去就もあるがままが真実だ、だからこの絵が好きなのだ。と店主は教えてくれた。


『あの日はクリスマスイブの前じゃったか、師走のあわただしい時期だったのぉ』

遠い記憶を絞り出すように店主は続けた。

『ヒヨリは、卒業後どうしたいのか?』
『私は絵の勉強がしたいの。アルバイトしながらでも画家になりたい。』
『いつか個展をひらいて、画商さんに認められるような画家になるの。』
『そんな夢物語のようなことを、本気で言っとるのか。』

そういってわしは反対して止めたんじゃが、どうしてもといって娘はきかんかった。店主は窓の外に視線をむけて言葉を絞り出す。

『師走の忙しい時期に
とうとう押しきられて首をたてにふったが、出ていったきりそのままじゃ。』

『娘さんから連絡はないのですか?』
『連絡どころか、何度も引っ越しをして住所もわからないのじゃ』
『ケイタイも番号が変わっておる。』『まったく、親不孝なことじゃ。』

『去年のクリスマスには、FlowerSeedの新曲の🎵VeryMerry Christmas🎵を聴いて、娘のことを久しぶりに思い出したのじゃがのぉ。。』
『ひとりで辛くて泣いてないか、気がかりなのだよ。やはり親だからのぉ。』

https://note.com/mistblue/n/nac4472b48774←名曲の鑑賞です🎵


②絵美子の思考

 

娘のために、という親の意志とは何なのだろうか。
単にコントロール下に置いておきたい親のエゴに過ぎないのでは。

いや、愛情が根本にあるのではないのか。ならば、店主の言動はあまりにも歪んだ愛情表現の極みなのかもしれない。

親からの望まない遺産をも受け継ぐ、この事を絵美子は静かに考えてみた。

店主の娘のヒヨリはどういう思いでいただろうか。
店主の話から察すれば、きっと喫茶店を継ぐ意思もなかったことだろう。
叶えたい夢だけがある。そこをもっとも理解して欲しい父親に夢物語と反対された、悲しみはいかばかりだっただろうか。自身すべてを否定されたような寂しさを味わったにちがいない。

本当に大切なのは彼女の自立心を尊重して、可能性を信じ夢を応援してあげること。そのために何が必要で何が不要かを一緒に考える時間を持つこと、だったのではないのか。

絵美子の思考はさらに広がってゆく。窓の外の寒気が店内にもにじんできて、川沿いにチラと雪が舞う
盆地の観光地の冬を演出している

川沿いの喫茶店、観光拠点として、地域の集える場としての存在意義は大いにある。

店主が商店街とも交流して街を盛り上げたいとの願いが、壁掛けの古びたケントの絵からも伝わってくる。
林檎が木から落ちるようにあるがままに、自然な街を観てほしいという切実な祈りなのだと気がつく。

関係性というのはひとつの財産だろう。人とのつながり、買い物に出かけたら気軽に声を掛け合える近所の付き合い、観光客に我が街の良さを語れる自信。絵美子のように何度でも訪れてくれる人。
すべて店主が作り上げてきた財産であり、店主の志の傘ともいえる。
その傘は過疎地域における関係人口を増加させる広がりを希求するように、大きくひらいて絵美子を包み込む。

ただ一度きりの愛着もない【交流人口】ではなく地元民と観光客をつなぎ、何度でも訪れてもらう、ある時は地元民となれる。そのような関係性を重視する【関係人口】こそ、これからは大切なのだろう。

愛娘に遺したい想いがこの店にはたくさん詰まっている気がして、絵美子は背すじをのばして敬意を表すのだった。
 
たしかに親になったことはない。四十を過ぎて勇志と結婚もしないまま、およそ出会いとは無縁の毎日を一生懸命生きてきた。

『私の思考は甘いとも思う、、、』


絵美子は自分の来し方を思いながら、納得しようとしたが結論は出なかった。

『ごちそうさまです。パスタ、美味しかったですわ。』
『おぉ、すぐにコーヒーをいれましょうかの。』

店主はサイフォンをかたむけ、挽きたてのさくらブレンド珈琲をカップに注いだ。
『どうぞ、さくらブレンドじゃよ。』
店内にはコーヒーのあまい香りが瞬く間にあふれて、窓際の席は幸せいっぱいの空間になっていく。

『いただきます。いい香りね。』
『香りが良いときはの、サイフォンがはりきっておる。』
『今日はスムーズに落ちたのう。』

にこやかな店主の笑顔の裏側には、悲しみが見えかくれしている。絵美子には店主の痛みはきっと永遠にわからないのだろう。
誰しも同じように、後継者に関する悩み事を抱えていて、それは則ち商店街の問題点にも通じているように思えたのだが。

コーヒーの香りが店内に舞い、幸せな時間が過ぎてゆく。
壁に飾られた西洋リンゴの絵が、より燻されていくようだ。

『ニュートンは誰も思いつかぬことわりを自分の心のなかに発見したのじゃ』『リンゴの絵を見てもいい考えは思いつかぬ、わしはやはり凡人だということかの』


『知らないほうが幸せということもありますわ、ふふ』

難しく考えなくても、店主は関係人口の大切さを肌身で感じて知っている。

絵美子は美しい微笑みを浮かべて店主にうなずいて見せた。

ノーブランドのシンプルなコーヒーカップを静かに傾け、豊醇なひと口を味わいながら絵美子はそっと納得していた。


~つづく~



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